教育現場から消える自然体験プログラム
2004年 12月 25日
夕張のインストラクターの方の解説が、よかったせいもあると思います。化石の価値や発掘する行為の価値、そんなことをわかりやすく伝えてくださいましたから。
さて、現在の人類が解決すべき大きな課題の一つが環境問題です。確かに環境教育については、総合学習をはじめ、様々な取り組みがされてはいます。しかし、そのまえにもっとシンプルに自然そのものの中で体験をし、何かを感じたり、不思議さを感じ取ったりということが少ないと思います。一時はリサイクルを通して環境教育なんてものも流行りました。
しかし、時代は「リサイクル」を考えるのではなく「サイクル」で考えていかなければならないでしょう。
教育には即効性のものと遅効性のものがあります。遅効性のものは学校教育の中で価値が認められにくいという現実があります。授業を工夫し、テストでよい点数をとらせるようなものは即効性のものでしょう。
しかし、遅効性の部分を忘れてはいけないと思っています。
その中のひとつに自然体験があります。自然を知識あるいは映像で理解するのと体験で理解するのとは大きく違いますから。学校教育の中で遅効性である自然体験プログラムが減って来ています。
↑
■とても良い言葉ですね。
■各市町村にAET(=アシスタント・イングリッシュ・ティーチャー)が海外から来ていらっしゃっていますね。
実は、新年度を迎える4月前に各市町村で、予算の見直しでAETを辞める検討を行っているところが多いようです。
実は私も、その点で今、悩んでいます。私のHP『共犯新聞』ゲストブックにも書きましたが、他の町ではどうなんでしょうか?
また、その点を考察しているブログやHPがあればご紹介していただきたいところです。
■たとえば、こんな意見もありました。
↓
「制度を撤退するってーコトは、行政が自ら自分たちのしてきた政策を否定するということです。
今までの15年間のAET制度が失敗であったと結論づけることです。
もし、仮にそうであっても、失敗であったと独断できる権利がどれくらい彼らに占有されているというのでしょうか?」
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■確かに、予算の削減は切実な問題ですよね。
でも・・・。と、今のうちに考えておきたいことが沢山あるような気がするのです。
さてAETのことについて職場の仲間に聞いてみました。「AETが、なくなるところあるの?」「北広島市では、そんな話は出ていませんよ。」「そもそもAETは外貨減らしのために導入されたものだから…」「AETもやる気のある人と、そうでない人といるし、単なる腰掛け的な人もいるみたいね」というような内容でした。たぶん、予算的なことでしょうね。切られるとしたら。
今度はいきなり文部科学省自ら「総合学習」を減らして行くような発言。ふざけるな!!こんな短期間で!と言いたい。そもそも、総合学習が導入された時点で、いずれは反省が出てきて消え去るだろう思っている人も多かったと思います。こなるとAETはどうなんでしょう?一応英語教育に関してのボーダルサイトを紹介しておきます。http://www.eigokyoikunews.com/あまりお役に立てなくてすいません。ところで、共犯新聞で紹介されていたスティーリーダン、あれは抜群のセンスのよさを感じさせ、好きです。
なんだか、AETも「総合学習」も、ハコモノ行政のように安易に準備され、しかもハコモノとは違って撤去が楽な分、最初に処分されるよーな印象です。
>AETは外貨減らしのために導入されたもの
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■そうですよね。
では、もう日本は貧乏国になったから、もういいのでしょうか?
■AETも「総合学習」も、ある意味、”装置”です。
装置は使う人が魂を入れるもの。ましてや、AETは人間ですし。「AETもやる気のある人と、そうでない人といるし、単なる腰掛け的な人もいるみたいね」と言うのも、その通りでしょう。
ルスツ町がAETを廃止したと新聞報道されたのが、行政マンには印象的であった=素晴らしい経費削減事例であると思ったのかもしれませんね。
今夜、山崎さんから頂いたご意見も含めて、仲間と集まって相談してみます。
山崎さん、さっそくのアドヴァイスをありがとうございました。
おばんです。沼田町の久保元宏です。
■ここ数週間、AET(=ALT;外国人による学校授業の語学補助教員)について考えていますが、
今夜は札幌の斉藤 彰さんから、情報とご意見をいただきましたので、
その私からの返答の形で、私の思索(?)の中間報告のようなものをバラマいてみようかと思います。
>>Subject: 中央公論の1月号見てみて
>>Date: Mon, 21 Feb 2005 20:04
>>
>>久保さん
>>ALTについて。
>>3月の中央公論の投書欄(ふだん投書欄はみないけどALT
>>の3文字が飛び込んできた)に出ていたのですが、
>>
>>一部抜粋
>>私の学校にも1年間に3度ほどALTがやってきて、全学級を
>>回り、簡単な英語の授業をしている。これは県の事業の一つで
>>ある。したがって一年生から六年生まで、どの子どもも、学級
>>担任とALTのチーム・ティーチングの英語の授業を1年間に
>>3時間だけ受けることになる。
>>
>>この投書の主は、英語上達には無益であること、イベント的で
>>あること、学級担任等現場が混乱すること、を挙げて、総じて
>>否定的です。
>>
>>むしろ、小学校のレベルでは英語の時間をもっと国語や算数に
>>もっと割くべきだと言っています。
>>
>>
>>で中央公論の1月号では、「大異変!日本の小学校」と題し、
>>市川力氏「先生・親・児童の『英語狂奏曲』」を扱っている
>>そうです。
■今回の提示資料のポイントは、AETは、
1.イベント的である
2.学級担任等現場が混乱する
とゆーことであると思います。
前回の「すずめの学校」の時に、菊池校長先生がいみじくも報告してくれた、
1.AETを上手に学校の授業で使いこなすのはタイヘンである
2.英語のキライな子どもに、いきなり英語のみを提示すると、さらにキライになる。
といった「生」の声は私(たち)には正直申してショックでした。
ある意味、私は、
1.イベント
2.混乱
が好きなので(笑)、上記のポイントの切実さに対して配慮が足りなかったのかもしれません。
語学を学ぶのに、ネイティブの人間の介在があることを否定するのは、不自然です。
その不自然の元は、
1.AETの力量不足=ほとんどが22歳ぐらいで教員経験が無い。興味は「田舎の地域」よりも「憧れの経済大国ニッポン=トーキョー&サッポロ」の方にある。
2.日本人教師の力量不足=英語能力はあるが、英会話能力がない。さらに言えば、コミュニケーション能力が無い(←もしかしたら、これが一番の要因かもしれません)。もっと言えば、イベント能力が無い&混乱能力が無い(笑)。
3.生徒の力量不足=メディアを通さない未知のモノには興味の回路を塞ぐ。
4.教育行政の力量不足=当初の企画を、途中で分析&修正する作業を怠る。
そして、教育こそが「力量不足」に対する最もポジティヴな方法である・はず・でしたよね?
また、AET間では会議やプライベートな交流は盛んですが、
AETを受け入れている行政の間での意見交換の場はあるのでしょうか?
あっても、機能しているのでしょうか?
「失敗」事例ばかりが浮かび上がるとき、「成功」事例を含めて提示し合い、解決のヒントを探り合う仕組みが私には、まったく見えてこないのです。
プラン・ドゥ・チェックの基本ではありませんが、予習&復習こそ、教育の基本ですのにね(がくっ)。
以上の分析をせずに、15年続いた方法を否定するのであっては、社会の学習能力不足こそが、この国の病であると、ちらりと思った今夜の私でした。
■沼田町に来ているAETのレベルは高いようです。過去に、完璧にバイリンギャル(←死語?)もいましたし、交流の気持ちも高いようです。ただ、その方向からしか楽観的に感じていなかった私の知らない点に今回は驚かされたものです。
↑
■そうですね。下記は私が某メールで書いた提案です。
↓
>
>>■JETプログラムのAETに問題があるのであれば、たとえば、沼田町であれば、姉妹
>都市をしているカナダ・ポートハーディから2年契約でオトナに来てもらうのって、
>どうか?>たとえば、ネィティブ・カナディアンの若い彫刻家に来てもらって旭川周辺
>のアイヌ作家と交流してもらいながら、沼田町で木彫り制作をする環境を与え、
>週に5時間ほど、各学校を回って、英語を聞かせる。っーだけでもいいんじゃぁー
>ないのか?他にも、老人ホームに、その方面の免許のあるガイジンに来てもらい、
>指導してもらいながら、週に5時間ほど、各学校を回って、英語を聞かせる。
>>または、農業研修生に来てもらい、沼田の農協で雪中米の施設で働いてもらい、週に5時間ほど、各学校を回って、英語を聞かせる。などなど。
>>■もう、「教師」でなくてもいいんだし、むしろ、他の「芸」を持っていたほうが面白いし。などと、今、私が感じている中間報告でございました。
久保さん、ご無沙汰しております。
ALTの話題、興味深く読みました。英語ばかりではありませんが、異文化をしょった人と接することは、ゆっくり効く肥やしになると私も思います。
安易に経費削減で地域に、他の国から来た人がいなくなるのは残念ですね。でも、どうせなら、その地域をとことん愉しんでくれる人がいた方がいいのも確か。
ちなみに、イベント的で担任の先生が苦しくなるような小学校の状況はというと、確かに恥ずかしがり?な人が敬遠するのもあるかもしれないけど、突発的なイベントに対応できないゆとりのなさが現場にあるせいもあるでしょう。
詰め込み・繰り返しで平均点は上がるかもしれないけど、そういうのがものすごく苦痛で、回り道しなきゃならなかった人間が、ここにいたりするんですよねえ。今、百ます計算やれっていわれたら、どうしようとおもう。いろんな人が一緒にいられる世の中がいいです。時にはバトルしつつ。