「美術鑑賞を楽しむ6つの手がかり」

「美術鑑賞を楽しむ6つの手がかり」_b0068572_0582222.jpg 美術鑑賞って一般の間では、やはり作品解説なんかをしていただいて「へー」とか「なるほど」とか、あるいは美術館で音声ガイダンスをたよりにじっくり味わう、なんてイメージも強いのかもしれません。やはり作品に対するウンチクがものを言うのでしょうか?
 さてそのようなこととは違う視点での美術鑑賞を上野行一先生がメールマガジンで執筆しています。6回シリーズです。
 題名は「美術鑑賞を楽しむ6つの手がかり」

 ☆メールマガジンの購読を申し込みについて

 内容は最近刊行された「私の中の自由な美術」をベースに書かれています。
この本は、鑑賞にとどまらず美術教育の本質を考えるうえで、是非とも読んでおきたい一冊だと思います。





第1、2回の内容を転載

 ************************** *
【新連載】「美術鑑賞を楽しむ6つの手がかり」 上野 行一
 ***************************

 展覧会に足を運んだとき、解説文や音声ガイドに頼らないで楽しめる鑑賞のしかたがあれば、知りたいと思いませんか。本連載では、上野行一先生(帝京科学大学教授)に、6回にわたって、美術作品を鑑賞し楽しむ手がかりについてお話しいただきます。

<第1回> 想像力を働かせる

「美術作品を鑑賞するのが苦手だ」「自信がない」という声をよく聞きます。美術館に行くと、作品に添えられた名札や図録の説明を読むのに余念がない人や、音声ガイドの解説に耳を傾けながらギャラリーを移動する人々が目につきます。目の前に本物があるというのに、なぜもっと貪欲に自分の目で見ようとしないのでしょうか。

知人の数学者が私にこう語ったことがあります。「オランジェリー美術館で見たモネの《睡蓮》は素晴らしかった。部屋に入ったとたん、あまりの美しさに言葉をなくしたよ。本当に睡蓮に囲まれているような気分がして最高だった」と。
彼は《睡蓮》を見てその美しさ、その雰囲気に浸っていたのです。このような態度で絵や彫刻に向き合う人も少なくないでしょう。確かに、美しいものを見て息をのみ、陶酔するのは美術鑑賞の醍醐味のひとつです。しかし美術作品は美しいものばかりではありません。悲惨な情景を描いた作品もあれば、感動や陶酔を拒絶するような現代アート作品もたくさんあります。そのような作品については途方に暮れて「わからない」とあきらめるか、解説に救いを求めることになります。これではいつまでたっても苦手意識はなくなりません。
この連載では、美術作品のうち主に絵を鑑賞し楽しむ手がかりをいくつか紹介します。今回は子どもの絵の見方からそのヒントを見つけてみましょう。

大原美術館にもモネの《睡蓮》があります。ある日のこと、訪れた一人の男の子が「あっ!かえるがいる」と目を輝かせて絵を指さしました。さて、かえるが絵の中のどこにいるか見つけられますか?
http://www.ohara.or.jp/201001/jp/C/C3a26.html
(モネ《睡蓮》大原美術館HP)

絵のどこを探してもかえるは見つかりませんね。それも道理で、この絵にはかえるなど描かれていないからです。子どもの発言を訝(いぶか)しく思った美術館の職員が、「えっ、どこに?」と訊(たず)ねてみると、男の子は「いま水にもぐっているよ」と答えたということでした。
この子には描かれていないものも見えている。素敵なことではありませんか。
この子は想像力を働かせて自分なりにこの名作を鑑賞していたのです。数学者の見方とは対照的な見方です。絵をしっかりと見ること、そして描かれているものについて想像力を働かせること。鑑賞はそこから始まります。

<第2回> 出来事を考える

 美術鑑賞が苦手だという人の話を聞いていると、絵を漠然とした全体的な印象だけで見ている人が多いようです。細部の描写の話をすると、「えっ、そんなものが描いてあったのですか?と初めて気づかれることも少なくありません。

 シャガールの《路上の花束》を見てみましょう。http://www.kochi-bunkazaidan.or.jp/~museum/contents/collections/artists_profile.html#chagall
(シャガール《路上の花束》高知県立美術館ホームページ)

 この絵には、画面中央いっぱいに花束の入った大きな花瓶が描かれています。下辺全体に広がる道を挟む街の建物が、極端な遠近法で描かれ、背景となっています。夕焼けでしょうか、空が赤い。右には正装した紳士が描かれていますが、なぜかひっくり返っています。花束の花瓶と紳士は何か関係があるのでしょうか。

 ではこの絵を鑑賞した10歳の女の子に、この絵について話してもらいましょう。

 「ニワトリがこの青いお店に来たところで、このニワトリはこの店に卵を売りに来たところです。この店は卵屋なの。」

 左の青い建物の入り口にとても小さな、花束の千分の一ぐらいの大きさでニワトリが描いてあります。このニワトリに気づく人は少ないでしょう。絵の全体を漠然と見ているので、目に入っても、それと認識しないからです。
 しかし、大切なことは、このニワトリは確かに作者が描いたものだということです。写真を撮ったら、たまたま画面の端に小さなニワトリが写り込んだというわけではありません。このニワトリはシャガールがそこに描いたのです。
つまり何らかの意図があって描いたということです。この少女はニワトリに気づいただけでなく、ニワトリと青い建物の関係を考えました。それが卵を売りに来たというお話になりました。
 前回はモネの《睡蓮》に陶酔する数学者の話をしましたが、画面を漠然と眺めて陶酔に浸るような見方をすれば、この絵のニワトリは目に入っても認識できなかったかもしれません。

 この少女のように、探索的に絵を見ることが大切です。絵のなかに何が見えるかを観察し、この絵は何についての絵なのか、どんな出来事が起こっているのかを考えることが鑑賞を深める手がかりになります。

■上野 行一(うえの こういち)
 1952年大阪府生まれ。帝京科学大学こども学部教授。大阪教育大学大学院修士課程(美術教育学)修了。広告デザイナー、公立学校教諭、高知大学教育学部教授を経て、2010年より現職。2005年、3年をかけてアメリア・アレナスと共同で開発した『MITE!ティチャーズキット』(全3巻)を日本初の対話による鑑賞教材として刊行。著書に、『モナリザは怒っている!?』(淡交社)など。
 自分らしい「自由な鑑賞」についてわかりやすく解説している最新著書『私の中の自由な美術-鑑賞教育で育む力』(光村図書)はこちら。
 http://www.mitsumura-tosho.co.jp/shohin/etc/book123.html
 (取り上げていただいたモネの《睡蓮》は、P16に、シャガールの《路上の花束》は、P77に掲載されています。)
by yumemasa | 2011-04-26 00:56 | Comments(0)

「美術教育」や「自然」に関するブログ。人々がより幸せになるための美術教育について考え、行動します。北海道北広島市在住。中学校教諭32年、大学で幼児教育・初等教育担当8年。現在、時間講師。


by 山崎正明