美術の時間の発想や構想について(その2)

 卒業制作「自分の存在証明」がはじまります。ものすごく楽しみです。生徒達がどんな作品をつくりあげるのかって思っています。これが、自画像の授業であれば、ここまで思わなかったでしょう。
 この「卒業制作」でもっとも、核心となる部分は 生徒自身の「発想」部分。ここです。ここ!この「発想」を生み出すしかけを考える事は難しくもありおもしろい部分です。この授業では、プレゼンテーションであり、その内容です。ここでは「哲学」的な内容にもなってきます。
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言ってみれば「君たちはどう生きるか?」ってことでもあります。これを題材名にできるかなあと思ったくらいです。もっと言うと「君たちは、どう生きてきたか、そしてどう生きてくのか?」ってことにもなるでしょう。ただ。この題材名だと、そのまますぎて遊びがないぶん苦しくなる生徒も出てくることが予想されます。ここで一番考えないとならないことは、自分を肯定的にとらえられない生徒がいることも含めての授業であるということです。そしてそのような生徒にこそ前向きに取り組んでほしいことです。
 そこで、次のような発想の視点を提示しています。 
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なお、「自分があまり好きではない」という生徒がいることを想定して生まれたものが「こうありたいという自分」です。さらに自分を考えるための作文(ワークシート)もあります、しかし、これを 作品にしてくださいというわけではありません。
 さらにもう一つは「表現方法」が先にくる生徒もいるということです。「表現方法」は絵画か彫刻あるいは、それ以外から選択します。実質は自由ですが、いきなり自由というと戸惑いも出るため、「絵画」か「彫刻」あるいは「それ以外」(相談にのります)言っているわけです。また生まれてから今までの中での美術に関わる体験も踏まえてという言い方もします。)また、学校で準備できるものを示す事も大切です。(学校にないものは、生徒と相談して決めていきます。これもまた、楽しい。)
 例えば、絵画であれば「キャンバスボード」と「水彩紙」を基本の支持体として提案しますが、教室内には段ボールやベニヤ板も置いています。
 
 この授業のポイントは「発想」段階です。ここがダメなら安易な方向に流れていく生徒もいるでしょう。
「構想」段階では、生徒と個々との対話をしながらがらです。

 なお、私の授業では表現に条件をつけています。「残酷なもの、エッチなもの、人が不快に思うもの」については 学校という公共のスペースで展示したりしますのでご遠慮くださいとしています。これは、この題材に限ったことではありません。
 ただし、これらの表現を否定するということではないといことを、「表現の自由」にからめて、指導しています。ここはユーモアも交えて話します。
 さて、このような条件を示す事は、とても 大事だと考えています。それ以外なら、なんでもOKという意味にもなります。


Commented by すずきひとし at 2011-12-11 00:09 x
山崎先生の、2年生の「あかり」にしても、そしてこの卒業間近の3年生にしても、恒例となりつつも、どんどん意識が深まっていってますよね。それは、教員だけが深まっていくのではなく、これまでの先輩の作品をみながら、「いよいよ自分が表現する時が来たな」という生徒たちの声が聞こえてくるようだから不思議です。題材継続には、教師の怠惰なマンネリと、逆に深まっていく継続の力が同居しているからむずかしいと思いますが、山崎先生の言葉には、継続するがために、より生徒への思いの距離と寄り添い方とに深みが増していると感じるのは、私だけでしょうか。自画像を絵画表現に閉ざさず、広く表現方法を生徒に提示していることに、強く共感します。現役時代やりたかったけどやりきれなかったことに、挑戦している山崎先生に応援の拍手です。
Commented by yumemasa at 2011-12-11 12:34
ありがとうございます、そう読み取っていただいて、たいへん、うれしいです。改善しながら継続しています。やはり 毎回納得いきませんから、次は こうしてみようと思います。そして 心がけていることは 生徒の側から 授業を考えてみること、山崎じゃなきゃできない授業にならないようにしているつもりです。
ところで、授業が待ちどおしいです。子どもがいったい何をどう表現しようとするのかって。
現場からはなれて見ていただき、そこからの授業に対する評価はありがたいです。
Commented by 石垣文子 at 2011-12-11 22:21 x
この課題をこの時期をやることは、ある意味大冒険だと思います。来春の受験を控えて、ただでさえ自分を肯定的に見えずらくなる時期です。
そんな3年生に今までの自分と今の自分を見つめ、これからの自分を考えさせていくこと、すごく重い作業だと感じてしまいます。
でも、先生は毎年とても楽しそうに授業をなさっていますね。
そこが、生徒と先生の距離の近さなのかもしれません。
先生も書かれているように、、「自分があまり好きではない」という生徒がいることを想定してということ、すっごく大事です。
そんな生徒こそこの課題に取り組むことで、新しい自分の見方や価値感を見つけてほしいし一歩踏み出してほしいですよね。
先生の授業って、寄り添って進められている感じがしてすばらしいなぁといつも思います。
Commented by yumemasa at 2011-12-13 06:57
石垣さん、実は、だからこそ、この時期だからこその授業なんです。いま、石垣さんが話されたようなことも、そのまま生徒に話しています。で、この授業には、二つの課題があります。それは、自分自身の「今」を見つめるってもの。そしてもう一つは「こうありたい自分」つまり夢とか希望とか好きなこととか、「自己肯定できなう裏返しは、こうありたいという自分がいるはずなので。そんな話もします。それから前提となるのが「あなたは大切な存在です」といことです。でもこうしたものも緩やかに提示しています。一番大事なことは卒業を前にした生徒達が美術の楽しさをたっぷり味わって義務教育を終えるという事です。そして自分の良さを見つけたり、確かめたりできたら最高だと思っています。実は、むしろ不登校傾向の生徒が前向きに取り組んだりするんですよ。石垣さんのコメントの最後の言葉、うれしいです。そうありたいです。自分が親になってから、この子が自分の子だったらと考えたりするようになったのは大きな変化です。
by yumemasa | 2011-12-10 07:51 | 美術の授業(山崎) | Comments(4)

「美術教育」や「自然」に関するブログ。人々がより幸せになるための美術教育について考え、行動します。北海道北広島市在住。中学校教諭32年、大学で幼児教育・初等教育担当8年。現在、時間講師。


by 山崎正明