美術教育の価値を伝えるプレゼンテーション(その1)
2011年 12月 11日
さて、ここで着目したのは 黒木さんの 本としての編集の仕方です。短い文でビジュアルで伝える。デザインの力です。
今回、高校の美術の授業の取り組みが 小学校の図工の専門でない先生からも 共感を得ている(千歳の岩崎愛彦さん)こと、中学校の音楽の先生(札幌の佐々木さん)からも。どうして、そうなったかを黒木さんの冊子を見ながら 学び取りたいものです。
今回 生徒の言葉を掲載した事は私は ものすごく重要なポイントだと考えます。
「生徒の言葉を掲載した事」の重要性を、山崎先生が指摘していることに、強くわが意を得たりとの気持ちになりました。前回も書きましたが、黒木先生の実践に強く惹かれたのは、授業デザイン=教育方法(指導法)の素晴らしさはもちろん、「学ぶ子どもの語り(ナラティヴ)」を示し、そこに教育の真実が現れているように感じたからなのです。
オーケストラの指揮を学んでいた頃、プロの指揮者のリハーサルを見学に行った際、その指揮者がアドヴァイスしてくださったのが、「指揮者がどう振っているのかではなく、プレイヤーがどう演奏しているかを見なさい。その指揮者が優秀かどうかは、オーケストラの姿からしかわからない」ということでした。
どんなに素晴らしい指導をしていても、学び手がモティヴェートされていなければ、さらには学び手そのもののあり方が表現されていなければ、何の意味もありません。「学び研」が追求しようとしている趣旨に賛同して、他教科ながら議論に混ぜていただいていることの第一義は、ここにあります。
山崎先生の記事の趣旨(プレゼンテーション=編集のあり方)とはずれたコメントとなってしまいましたが、思わず勢いで書いてしまいました。いつもながらの長文コメント、お詫びします。皆様のご意見、ぜひお聞かせください。失礼します。
授業を見るときは 子どもを見る、子どもの頭や心の中でないが起こっているかを 見る そこから授業改善を 考えるってことと大事にしています。それは すべての教科においてです。
先日の夕張での「ビデオ」による発表は「子どもの学びの姿」が 他の方法より よく見えてきました。
笹木さん、音楽と美術は運命共同体です。共にやっていきましょう。子どもの幸せのために。