洞爺湖のカモメ

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洞爺湖中島に向かう船にカモメがやってきた





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ふと、思った。
遠くで見るのと、近くで見るのは違うなあ、
映像で見るのと本物を見るのとは違うなあ、
見る人の年齢、世代、住んでいる環境の違いで感じ方が違うなあ
Commented by 石垣文子 at 2012-05-27 23:43 x
見るという行為には、映像としての記憶よりは、見た人の脳みそというフィルターを通ることで意味をなす事の方が多いのだと思います。美術制作や表現には、その、フィルターを明らかにするという意味があるのだと思っています。ですから、同じものを見ても、心に落ちるものは、違うのでしょう。見るということと、表現するということは、密接ですね。
Commented by yumemasa at 2012-05-28 06:20
同じものを見ていても感じるものは違うということは、これまで生徒達に言葉で説明してきました。「対話による鑑賞」をはじめてから、その部分がすんなり落ちてきます。一人一人が違う存在だから、世の中はおもしろい、って実感できる時間というか場です。石垣さんの言われるように「見るということ、表現するということは、密接ですね。」について、本当にその通りですね。
Commented by 石田貴之 at 2012-05-28 19:59 x
いま、3日前から遡ってブログ拝見させていただいているのですが、先生、この週末は絶好調でしたね!写真がどれも素晴らしい!飛ぶ鴎の写真もホントに素晴らしい!そして鴎と目が合った写真も!

石垣様と山崎先生のコメントのやり取りにも同感です。過去の偉大な美術家の表現のバリエーションも手技ではなく、視覚の多様性・独自性からうまれるものだと私は考えています。
知らず知らずのうちに固定観念に囚われた視覚が我々の<見る>ことと考えがちですが、その前段階の<見る>行為が必ずあります。そのダイナミズムを定着しようという試みが美術表現ではないでしょうか。その人の最もフレッシュな脳みそのフィルターを通過した段階での体験はまだ<言葉>では語れませんが、美術なら表現できるはずですよね!
Commented by yumemasa at 2012-05-29 01:50
天気がだめだと思っていたら、意外とよい感じになったので ついつい遠出しました。
石垣さんのコメントをもとにした石田さんの論考もおもしろい。「脳みそ」とか「脳」とか「頭の使い方」とか、私も授業の中でよく使います。
Commented by yumemasa at 2012-05-29 01:54
石垣さん、石田さん、facebookではなく、ここにコメントいただけると すごく うれしいです。facebookはやはり
 まだ 閉じられた世界ですから。どなたでもお読みいただけることが やはり望ましいことです。感謝!
by yumemasa | 2012-05-26 22:02 | Comments(5)

「美術教育」や「自然」に関するブログ。人々がより幸せになるための美術教育について考え、行動します。北海道北広島市在住。中学校教諭32年、大学で幼児教育・初等教育担当8年。現在、時間講師。


by 山崎正明