子どもにとどかない評価

毎時間、授業についての評価(授業を振り返って感じた事、考えた事など)を書いてもらっています。生徒にはこの評価をする「ねらい」を言っています。3つ。

① 私(山崎)はもっといい授業にしたいのでその参考にするため
→「それは結局みなさんのためにもなります。後輩たちのためにもなります」と補足

② 評定のための資料(プラス面を見ていきます)

③ みんな(自分)自身のため(自分の学びをふりかえったり、自分のやってきたことの意味を考えるなど)

そんな意図でやっていますが、昨日、以下のような言葉が書かれていました。ダメですね、山崎君。
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 山崎君のスケッチの授業(中1)です。最後のほうでとにかく全員に声をかけようと「いいね!」みたいな感じのことを言って歩いたのです。よく「ほめればいいわけではない」ということを言っている私ですが…私がやらかしました。油断なのだと思います。慣れによる甘さですね。




 確かに、この授業の時、心の中で「やばい、これじゃ、評価になっていない」と思ったのです。それをしっかり指摘されました。
 本気で評価している言葉じゃないから伝わっていないのです。この生徒は「表面的にほめられることより、もっと伸びたいと思っている」ってことが伝わってきます。特に中学校1年生ならなおさらです。次改善します。
 展覧会で「なんでこの絵が入賞なの?」って疑問を持たれるようなもの。あるい「指導と評価がバラバラ事件」。
 自分の授業改善の一番の資料は 子どもの姿、それから 子どもの言葉。若き日の山崎君は子どもの作品の出来映えでした。油断したらダメです。
 なお、上の写真では生徒の書いたものに、付箋をはっていますが、これは次の授業でフィードバックするときに使います。生徒個々の評価や課題を言ったりしますが、今回のように私の反省を言う事もあります。

 本当に「評価」は大事です。これ次第で、子どもの学ぶ意欲も、学びの方向も、まるで違ってきますから。

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Commented by ミノオカ at 2012-06-01 04:06 x
ボクは普段、大人の方々にレクチャーすることが多いのですが、褒める時もアドバイスする時も、「なぜ良いのか」「この指摘は何のためか、そしてどのように役に立つのか」を、出来るだけ明快に伝えるように強く意識しています。曖昧さを内包する美術だからこそ、いい加減さが甘えにならないように、ポイントになる部分をしっかり見つめる力量も大切にしています。子どもたちを相手にする時も同様に、と意識しますが、子どもたちの勢いと理解度に応じて、どうしても中途半端に褒めたり指摘したりしがちになってしまい反省することが多いです。そんな事を、改めて感じました。

何よりも、生徒を子ども扱いせずに、しっかりと対応している姿勢は素晴らしいですね。当たり前のようでいて、なかなか出来ないことでは、と感じました。生徒もキチンと意見を書けること、同時に教師もその機会を与えることに、普段からの信頼関係が見えますね。

こんな美術の授業が受けられる生徒は、幸せです。
Commented by yumemasa at 2012-06-01 21:50
ミノオカさん、この記事を深く読み込んでいただいてありがとうございます。そしてミノオカさんのお話し、すごく、よくわかります。
 そして「子ども扱いしない」ってことも、最近特に大事だなって思います。
 私は研究会での授業参観などでは、教師の評価の言葉をすごく注目しています。そこに実は大事なことが見えたりします。

 それにしても若い頃は、経験を積めば 超スーパーな授業ができているだろうなんて思っていたんですけど、反省は多いですね。だから やりがいがあるのですけど。
ミノオカさんのコメントの最後の言葉、うれしくて木に登りそうです!でも油断はしないように肝に銘じたいと思います。
Commented by 井上哲義 at 2012-06-01 23:53 x
山崎さん、この姿こそ新らしい未来の美術教育の姿勢だと、私は思いますよ。かっこいい事、とつてつけたような美辞麗句、そんな事から、綺麗に決別しましよう!子供が持つている、内在している力、見てやりましよう。じっくりと、こちらにもそれなりの含蓄がなければ、事は進みません。そこを進ませるのが、私たちの仕事ですね。できなかった事を出来るようにしてやる事、考えつかなかった事に気ずかせること、そして、そんな中から、私の構築した美的エッセンスを注入する事。やらせる限りにおいては、全責任は、私に在る。常に子供の側から物の捉え方を考えるけれども、しっかりとした、教師側の、こうさせたいを確立すること、鑑賞と表現の繋がりに、意識的に取り組む姿勢を日常化して行きたい。評価ということの大切さと共に、得点で表せない、教科独自の繊細な部分が、人を評価するという、学校教育装置に置き換えられて行くジレンマ、それが、私を、自然な美術教師にしてくれない。美術は、道徳でもあり、哲学でも在る、人間を創る大切な教科で在ることを、理解改善させる必要が在る。それは、大きく言うと、日本の国民の意識を創る大切な要因を担っているからだと思います。


Commented by オレンジ at 2012-06-02 00:54 x
私、これと同じことを子育てで勉強しました!!
何でも同じように褒めていたら「もうその褒め言葉いいわ」ってダメ出しされました(笑)子どもから学ばせてもらうことに感謝しますよね。
Commented by yumemasa at 2012-06-02 10:25
井上さん、私たちの世代に出来る事は、自分たちのしてきた失敗を次の世代の人に知っていただくことでもあると思うのです、それと同時に積み重ねてきてやっと見つけたものも。でもそれも油断や慢心、おごりでダメになる。netで名前を知っていただいてありがたいこともあります。しかし、私たちの知らないところで、きっとよい授業をしている人はたくさんいる、そう思います。そんな思いも込めながら「美術教育Q
&A]やりたいと思っています。

Commented by yumemasa at 2012-06-02 10:29
オレンジさん、そうですよね。私は親になってから 授業も変わりました。「ほめる」と「おだてる」をいっしょにしていると、子どもにはわかるんです。だから私の中では「よいものをよい」と口に出して言うということなんでしょう。
by yumemasa | 2012-05-30 00:15 | Comments(6)

「美術教育」や「自然」に関するブログ。人々がより幸せになるための美術教育について考え、行動します。北海道北広島市在住。中学校教諭32年、大学で幼児教育・初等教育担当8年。現在、時間講師。


by 山崎正明