子どもにとどかない評価
2012年 05月 30日
① 私(山崎)はもっといい授業にしたいのでその参考にするため
→「それは結局みなさんのためにもなります。後輩たちのためにもなります」と補足
② 評定のための資料(プラス面を見ていきます)
③ みんな(自分)自身のため(自分の学びをふりかえったり、自分のやってきたことの意味を考えるなど)
そんな意図でやっていますが、昨日、以下のような言葉が書かれていました。ダメですね、山崎君。
山崎君のスケッチの授業(中1)です。最後のほうでとにかく全員に声をかけようと「いいね!」みたいな感じのことを言って歩いたのです。よく「ほめればいいわけではない」ということを言っている私ですが…私がやらかしました。油断なのだと思います。慣れによる甘さですね。
確かに、この授業の時、心の中で「やばい、これじゃ、評価になっていない」と思ったのです。それをしっかり指摘されました。
本気で評価している言葉じゃないから伝わっていないのです。この生徒は「表面的にほめられることより、もっと伸びたいと思っている」ってことが伝わってきます。特に中学校1年生ならなおさらです。次改善します。
展覧会で「なんでこの絵が入賞なの?」って疑問を持たれるようなもの。あるい「指導と評価がバラバラ事件」。
自分の授業改善の一番の資料は 子どもの姿、それから 子どもの言葉。若き日の山崎君は子どもの作品の出来映えでした。油断したらダメです。
なお、上の写真では生徒の書いたものに、付箋をはっていますが、これは次の授業でフィードバックするときに使います。生徒個々の評価や課題を言ったりしますが、今回のように私の反省を言う事もあります。
本当に「評価」は大事です。これ次第で、子どもの学ぶ意欲も、学びの方向も、まるで違ってきますから。
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何よりも、生徒を子ども扱いせずに、しっかりと対応している姿勢は素晴らしいですね。当たり前のようでいて、なかなか出来ないことでは、と感じました。生徒もキチンと意見を書けること、同時に教師もその機会を与えることに、普段からの信頼関係が見えますね。
こんな美術の授業が受けられる生徒は、幸せです。
そして「子ども扱いしない」ってことも、最近特に大事だなって思います。
私は研究会での授業参観などでは、教師の評価の言葉をすごく注目しています。そこに実は大事なことが見えたりします。
それにしても若い頃は、経験を積めば 超スーパーな授業ができているだろうなんて思っていたんですけど、反省は多いですね。だから やりがいがあるのですけど。
ミノオカさんのコメントの最後の言葉、うれしくて木に登りそうです!でも油断はしないように肝に銘じたいと思います。
何でも同じように褒めていたら「もうその褒め言葉いいわ」ってダメ出しされました(笑)子どもから学ばせてもらうことに感謝しますよね。
&A]やりたいと思っています。