「絵のある人生」
2005年 02月 19日
安野光雅 (岩波新書 2003年)
大人の人で絵には関心があるのだけれど、「絵心がないから」「基礎ができていないから」などの理由で一歩踏み出せないでいる人と出会ったことが何度もあります。考えるに、この人達も小学校や中学校での授業の中で絵を描いてきているはずですが。
(癌で亡くなった私の父はー絵のことなどほとんど口にしなかったのですがー病室のベッドで、「絵を描いてみたいなー、これからでも描けるようになるかなー」と私に聞きました。私は「退院したら描こう」といったのですが、実現出来ませんでした。母が絵を描きはじめました。)
私は現在、生涯教育を見据えての美術教育のあり方を考えていかなければならないと思っています。普通の大人の人が絵を描く生活をイメージしながら、そのために義務教育で必要なことは?そんなことを考えているときに出会ったのがこの本です。
さて本書ですが、美術に関心を持った人のために描かれた本ですが、「絵がわからない」とか「絵を始める人のために」といった章もあります。随筆風の安野氏の文章はあたたかみがあって、美術教育を考えていく上でのヒントとなることも書かれています。
*印象に残った言葉*____________________________
絵を描く姿勢に二つあるように考えられました。
(1)仕事として、好き嫌いにかかわらず描く。(たとえ、意に添まぬ注文の絵でも描く。頼まれて描く挿絵、イラストレーション、本の装丁など。)
(2)描きたいという衝動に駆られて描く。(頼まれなくても描く。他人の思惑とは関係なく描ける。ゴッホがほとんどこの立場)(P15)
この描く理由というのが、絵を描く者には大きいエネルギー、そして意欲になっています。ですから、それがないと描けません。そもそも、絵を描く方法は教えられないものだ、と思ったほうがいいです。だから「基礎」というものは考えにくい。(P151)
石膏デッサンが、対象を写実的にとられて表現し、世界に通じる言葉を身につけるための勉強だとすると、必ずしも写実的に描けない自己流の表現は、方言にあたります。方言ですから第三者に通じないこともあります。けれども自分の思っていることを、素直に表すことができるのは方言のほうです。方言は勉強したこともないのに、いつのまにか体にしみこんでいるものです。(P152)
わたしは、軽々に「絵描きになれと」と人に勧めることはできません。でも、それで生活しようと、思わないですむなら、大賛成です。絵を描くことは、描かないで過ごした人生にくらべて、どんなに充実しているか知れないのだから…、今ごろになって「絵と一緒に生きてきてよかったな」と思っています。(P198)
《関連記事》〜生涯教育の基礎となる義務教育について考えてみました。
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