シマフクロウの森で〜知里幸恵のメッセージを聴く
2005年 03月 06日
多数の写真を見せていただいての講演でした。最初は地球環境のお話からはじまりました。
アイヌ民族が住んでいた北海道(アイヌモシリ)はこの100年(明治以降)の間に、変わり果てた姿になってしまいました。そしてアイヌ民族が神としたシマフクロウが自由に棲める森は北海道にはもうほとんど残っていません。(現在シマフクロウは130羽程度しかいません。シマフクロウが営巣するためには巨木が必要ですが、その巨木が残っていないのです。)
知里(ちり)幸恵さんが「アイヌ神謡集」序文の「その昔この広い北海道は、私たち先祖の自由の天地でありました。」という言葉にすべてが凝縮されています。
このような主旨のことを話された後、19歳でなくなった知里幸恵さんのことについてくわしく話されました。
*以下に小野有五さんが用意していただいた資料の中から少し、引用します。
「彼女が求めて果たせなかった夢、それはアイヌ民族の奪われた権利の回復と、完全な平等の実現である。幸恵や真志保だけではない。さまざまなアイヌの人々を、アイヌの歴史や文化を、大部分の日本人が知らないということ、それ自体が差別でなくてなんであろう。
「日本は単一民族国家である」と大臣が発言すればマスコミをこぞって批判するが、古典の教科書に岏自物語や徒然草はあっても、古典中の古典であるカムユカㇻはのっていない。アイヌ語を学ぶ機会はまったくなく、アイヌ民族の視点からみた歴史を教えられる事もない。そういう状況を大多数が黙認しているのが日本である。サケをとる権利、クマ送りをする権利すら、いまだアイヌ民族には回復されていないのだ。アメリカやイラクのことも重要だけれど、まず国内の「国際問題」に目をむけてほしい。
どうしたら、アイヌ語の教育を抵抗なく取り入れられるだろう。どうしたら日常的な不平等に気づかせることができるだろう。それを考えたとき、アイヌ語地名の併記がまず出発点になるのではないかと思った.」
小野有五さんは、ここに書かれている事を実際に運動としてはじめました。そして5年がかりで旭川市でアイヌ語地名併記が実現しました。
「至るところにアイヌ語を、アイヌ民族をあまねく存在させること。単に伝統や舞踊や手芸だけでなく、あらゆる分野にアイヌ民族が活躍できる場をつくること。普遍的にして特別視しないこと。それを実現することが、幸恵の夢を引き継ぐことだと思う。私たちひとりひとりが、自らの意志と力でこの国を変えていけるか否か。「自由の天地」を回復できるか否か。
それを幸恵の目が見ている。シマフクロウが見つめている。」
今日の講演会で中学生が「私たちにできることは何でしょうか?」と質問をしました。
小野さんは「まず知ることです。」と話された後、「知里幸恵記念館(銀の滴記念館)」建設のための運動についても話されました。
小野先生のご講演を聴かせていただくのは3度目です。そこから感じること、根底にある人間的なあたたかさです。そして意見だけではなく「行動」することの大切さも教えていただいています。
さて、ここに紹介させていただいた「知里幸恵「アイヌ神謡集」への道 /財団法人北海道文学館編/東京書籍」は小野有五さんをはじめ33人の方が知里幸恵さんやカムイユカㇻについて論じていますが、この本の売り上げは「知里幸恵記念館」建設資金に使われるとのことでした。(幸恵さんの生地である登別に建設)
まず、とにかく、この記念館を建設することで、アイヌ民族のことを多くの方に知ってもらうことが出来ます。
《関連記事》
☆「森の時間」小野有五を読んで
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☆梟の神の自ら歌つた謠 「銀の滴降る降るまはりに」