子どもがたくさん発表する鑑賞の授業
2014年 04月 14日
正式には「対話による意味生成的な美術鑑賞」と言い、単に、子どもがたくさん発表する鑑賞の授業がよい授業ではないということをポイントとして解説しました。子どもがあまり考えないでとにかく活気があるように見える「ハイ!ハイ!授業」とかは、見かけは一瞬よく見えますけど…
(大学生の感想から)
「画集や教科書を見ると作品に解説が書いてあって、その通りにしか見れなくなってしまったけれど、この方法なら自分から進んで見れました。」
「似たような授業を受けたことがありました。でも、たくさん言ったあと、最後に先生が「実はね…」って解説をしてくれたんですが、じゃ、それまで私たちが言っていたのは何だったの?って、思いました!今回の方法だと、それがなく、楽しく鑑賞できました。」
「鑑賞は楽しいものだと思いました。美術館に行ってみたくなりました。」
「一つの作品でいろいろな見方がができるし、一人一人の思っていることを聞いて、感じ方や考え方は一つではないと気がついた」
山崎は、かつて「感動の押し売りの授業をしていた」こと、はじめて対話による鑑賞をしてうまくいき(ビギナーズラック)自分なりにアレンジして「実はね…」って言っていたことなどにも触れました。
ここで学んだ学生が現場に出て行く時のこと想定すると本当にやりがいを感じます。学生がこれまで受けてきた授業の話も、とても参考になります。
美術の先生がセザンヌの裸婦画を取り上げたときに、ちょっと恥ずかしいですけどwwと前置きしつつ、様々な観賞ポイントや技法を紹介してくれた事を思い出します。
『対話的』とは言いますが、対話するにしてもそのベースをある程度共有していないと難しいので、中学生相手に(ましてや私の期は暴れん坊だったから)丁寧にそういうことをやるのは大変だったろうと思います。
先生のブログを拝読していると、『ああ、これはそういう考えだったのね』と当時を思い返して、絵とか美術工芸品に対する見方が私自身広がることを感じます。
それは長い人生を過ごす上での一服の清涼剤というかなんというか。
先生の講義を受けている学生には『視点を整理する・それを広げる』という事を意識して話を聞くとまた面白いのかな?と思います。
鑑賞の視点などを示すものとは違います。このコメント欄で書ききれませんよーーー。
「対話による意味生成的な鑑賞」は、音楽の分野でも研究・実践を進めるべき魅力的な領域です。私の「5分間鑑賞」実践も、聴いた後に互いにつぶやきあう時間を設定し、対話を促す活動へと改良中です。改めて先生とは顔を見てじっくり語り合いたいですね。研究室も教えていただきましたので、必ずお伺いしたいと思います(校内研修のまとめはその時に直接お渡ししますね)。
上野先生の著作にあたるような仕事が、音楽科でも必要なのでしょう。しかし一現場教師にすぎない私には荷が重すぎます。いずれにしても、有賀さんのいう「芸術思考」「Art in life」 というのは、音楽科でも大いに参考になりそうです。先生の下から、未来の学校教育を担う教師がたくさん輩出されることを期待しています。上條先生(東北福祉大)も「教師教育ネットワーク」を立ち上げ、本格的に教員養成の問題に取り組み始めておられます。中教審答申のキーワードも「学び続ける教師」です。生涯にわたってより良く育ち学ぶためのしかけやしくみを、あらゆる現場で創り出していく必要がありますね。私も微力ながら、勤務校での研修部まとめ役として、「こどもの姿を語る会」事務局として、多くの方々と対話を重ねたいと思います。19日(土)9時より屯田北中にて、当会の例会を行います。お時間あればご参加ください。相変わらずの長文コメントにて失礼しました。では失礼いたします。