《重要記事》図工の授業で困っているという小学校の先生方へ
2005年 09月 26日
指導者自身が絵を描かなくても、苦手だと思っていても、素晴らしい指導はいくらでも出来ます。
「学習指導要領」をお読みになってください。
もちろん、批判的に読まれるのも結構でしょう。もし、そうでなければ、指導要領は永久に変わらない事になりますから。ですから「改訂」があるわけです。
(なお、現行の指導要領においては小学校と中学校の系統性の点で課題があると思っていますが、次期指導要領の改訂で改められると期待しています。ただし中学校に教科が「必修」として残っていることが前提での話ですが。)←2005年現在
「指導要領」がよく理解できないのであれば、「学習指導要領の解説」というものをじっくりと読んでください。教科調査官や研究者が責任を持って執筆しています。
最新の「年間指導計画」は、教科書会社のHPからダウンロードしてみてください。また地域の学校どうしで「年間指導計画」の交流もよいでしょう。
教科書にある題材を、ご自分の学校の児童の実態に照らし合わせ、再度ご検討ください。教科書にある作品や題材は全国の様々な授業から生まれてきたものです。いわば、数多くの先生方が子どもとともにつくりあげたものです。研究者と一部の教師によってつくれるものではありません。
そして一歩進めてこの題材を参考にしながら、目の前のこどもたちに何を大事にしなければならないか、その関係性の中で、題材を考えることができたらよいと思います。
「教師用指導書」をもう一度ていねいに読んでください。指導案があります。これらは一人の教師が執筆したものであっても、編集委員で検討が加えられます。いいかげんなものをつくれば「教科書会社」は生き残れません。
また「教師用指導書」の内容がわかりにくい面があるのであれば、それこそ教科書会社に意見を出しましょう。そのご意見は教科書会社にとっても有益なはずです。それは何より教科書を使う子供のためのものです。
教師用指導書と関連した「各種資料」をじっくりとご覧ください。授業で子どもに直接見せることもできます。
なお、現在使われている教科書会社とは別の教科書会社の教科書および指導書もご覧になると非常に勉強になります。同じ指導要領をもとにつくられていますが、教科書会社で取り扱っている共通点と相違点に着目してみてください。
また各種実践資料は教書会社から無償(送料は別)で配布されているものもあります。問い合わせて使ってみてください。授業のヒントになるでしょう。
「酒井式」「キミ子方式」「佐藤式」などはすぐ出来そうで、魅力を感じる方もおられると思いますが、事前にどんな批判があるかを詳細に検討してみてください。
(ただ現在の段階では批判の声はあまり表には出てきていません)
「酒井式」などは「教育テレビ」で番組化され「わくわく授業」として提案されていますが、特に「児童画の発達」に関してはそのとらえ方について大きな課題がのこります。特に「幼稚園」でも実践することについては「児童画の発達」について勉強しておられる方なら、その「問題点」に気がつくでしょう。
こどもが「描けない」というとき、なぜそう言うのか、どうして描けないのかその原因を子どもとの対話や観察の中で探ってみてください。時にはご保護者から幼児期の体験なども伺うことも良いかもしれません。(ただ、保護者に聞く場合は、聞き方を考えないと、驚かれると思いますので、十分な配慮が必要です)そして、すぐ描けるようにしようと焦らないでください。子どもが試行錯誤しながら獲得していくこともまた貴重なことです。すぐに結果を出そうとしないでください。特に小学校低学年ではその差が大きいのが当たり前です。それをすぐ解決しようとすると過ちをおかすことになります。
「コンクール」に入選させることが教師の力量の証ではありません。コンクールには功罪があります。
「酒井式」が100%悪い訳ではないでしょう。どうしてもという方は、練習として一部、取り入れるという方法もあるかもしれません。「カタツムリの線」や「部分だけを見せる」というような手法は「酒井式」だけのものではありませんが。「カタツムリの線」については、むしろ「脳の右側で描け」(B・エドワーズ著/マール社)を参照されてもよいでしょう。似ているようですが、酒井式のものとは意味が違ってきます。ただし、これは小学校の一斉指導の中で取り入れることについては、私はまだ何とも言えません。けれども「一定の指導(教授)方法」で見た目の表現がよくなっていくということに対して、「限界」と「危険性」を把握しておきたいものです。これだけをやってしまうとまた問題になってきます。
なお「酒井式」が、他の実践を批判する理由の一つとして「自由に描きなさい」では何も育たない、といった主旨のものがあろうかと思いますが、確かに授業中子どもに勝手に絵をかかせ、放任し、いわゆる「内職」をしておられる先生がいますが(こちらも批判されるべきです)そういう場合は別としても一般的には図工の授業を真剣に考えていて「自由に描きなさい」と言われる先生はほとんどおられないと思ってよいでしょう。(「ほとんど」というのはあえて「自由」を設定している高度な授業です。)ちなみに「教師用指導書」をご覧ください。
「酒井式」「キミ子方式」「佐藤式」が正しいのであれば、「中学校」で広まっているはずです。しかし「事実」はどうでしょう?TOSSのサイトにも実践例がほとんど皆無です。中学校では高橋氏が頑張っておられるようですが…。思春期の子ども達が事細か指示されてよく怒らないでやっているなと思います。高橋氏の授業が成り立っているのであれば、それは高橋氏の教師としての人間的魅力が特別に大きいからかもしれません。
なお、酒井式の作品は今後コンクールへの入選は激減するでしょう。それについては酒井式描画指導に問題があるということを審査員が感じているからです。特に教育関係者が審査員になっている場合はその傾向が強いはずです。
「親も喜ぶ」「子どもも喜ぶ」ということをよりどころにされておられるようですが、私のところにでさえ「酒井式の指導を受けて困っている」という「相談」があるわけで、この認識は違うと思います。また、子どもの怒りの声も出てきています。
また「酒井式」についての「批判」が表に出てこないのは、研究者が相手にしていないからでしょう、「苦笑」はしていますが。
また、同じ教師どうしですから、遠慮もあるかもしれません。そのあたりはよくわかりません。このたび明治図書から「これが幼児の絵!?魔法の酒井式描画法」が出版されますが、ぜひ内外の児童の絵画に関する研究書とあわせてご覧ください。これは問題になると思います。
また酒井式をやっておられて、おかしいと思いましたら、勇気が持ってやめてください。身銭を切っての研修の結果、最後に自己批判することになりますが、その経験はむしろプラスにしようという発想に立たれてはどうでしょう。「昔、酒井式をやっていました。」という方が素晴らしい実践をされていることがあります。それは基本的に酒井式をされる方が、教育に熱心だからです。ただ熱心の方向が違っていたのです。
私もこう書いていますが、昔の私が今の私の前にいたら、ずいぶんと批判しているでしょう。やはり指導方法に絶対というものはないと思うのです。目の前の子どもはひとり一人違う存在ですから。そして私自身もこれでよいのかと自問しています。このようなことを書く事自体も、やっと決断してのことです。ですから、この文章も今後加筆修正していく予定です。
ただ酒井式をやめると大変なこともあります。それは、「第1回TOSS酒井式全国大会にむけての基調提案」の中で、酒井臣吾氏がTOSSランドの目的の一つで紹介している「子育てに忙しい女教師が15分で授業の準備ができるようにすること。」というようなわけにはいきません。全教科の指導で大変とは思いますが…。(なお、私はこの言葉自体、非常に問題を含んでいると思いますが、ここでは言及しません。)
私たち大人が絵を見て感動するのはそれが「うまい」からでしょうか?
どうか子ども絵の表面にとらわれず、内面を見ましょう。そうしたら、子どもの絵で何が大事かがわかってくるはずです。わかってくると楽しいです。またそうすることは「学級経営」のプラスにもなっていきます。
「酒井式描画指導」の頂点に立つ方は酒井臣吾という方です。そのご自身の名前を冠しておられます。いくら支部があろうとも、かわらぬ事実は酒井氏の「追試」をして成り立っているわけです。
しかし、冷静になってお考えください。組織の頂点が何十年も変わらないという「事実」。「宗教団体」であればあり得るかもしれませんが…。しかし研究会も学校も文部科学省も組合も企業もトップがかわります。
ここに書いた事で酒井臣吾氏の人間性について言っているのではありません。校長時代も酒井式をやりなさいということもなかったし、子どもにも教師にもたいへん温かい方だと伺っております。私も個人的には教育大学附属函館中学校に助言者として来られた酒井氏と分科会の会場でいっしょになったことがありますが、紳士でした。
ちなみに、過去,私も酒井式によって指導された絵を見て、素晴らしいと思った事があります。しかし、その後酒井式の著作を読んで、問題があまりにも多いということがわかりました。また実際にはかなりの数の実践者ともお話していますが、共通するのは、絵の描かせ方の話ばかりで、肝心の子どもが何を感じ考えたかその思いを全く語れない事でした。絵を描いた子どもの姿が見えてこないのです。「表現とは何か」ということを、一度そのことを真剣に考えてみてください。
この文章を書いたことについて、やはり自分がそこまで言える力量があるのか、と言われると心もとない面もあります。
しかし、これだけは、言わせてください。これまで25年以上美術教育をやってきました。たくさんの生徒と授業をつくってきました。たくさんの研究会に行きました。文部科学省側のものであろうと組合側のものであろうと、主張の違う研究団体であろうと。また多くの美術教育の研究書も読みました。そして退職された方も含め多くの先生から学んできました。ブログなどを通していろいろな立場の方と交流しながら、自分の考え方などにも広がりが出てきました。小学校や幼稚園の先生とも共同研究として授業をつくってきました。娘の成長も見てきました。これからも学び続けていきます。どこかでまた自己批判しなければならないときが来るのかもしれませんが。小さな自己批判ならいくらでもあります。
私がここに書いた一文はそういった たくさんの方々から学び取ってきたものがあって書いています。
学んできたことを自分ひとりのもの、目の前の生徒だけのものだけにしておくのは、いけないのではないかと思ったのです。ある意味では私が学ばさせていただいたことの恩返しでもあると思っています。
なお、このブログでは、今後も多くの方の役に立つ情報を提供していくつもりです。
なんだか最後のお願いみたいな感じになってしまいました。この文を書いた結果、今やっている美術教育の研究や広報関係の仕事をやめることになるかもしれません。「お前は何様だ!」と思われても仕方がないと思っています。しかし、今回のNHKの放送をきっかけに、実はものすごく悩み、ものすごく考えました。その間、3連休が2回あったのは幸運でした。覚悟して書きました。
もう陰で酒井式や NHKわくわく授業を批判するのもいやですし、外に向かって声を出していかないと効果もありません。
なくなった父くらいの年齢の人生の先輩ともいえる酒井臣吾氏を批判したり、研究会でニコニコして持ってきた酒井式の絵についてその指導を批判するのも実はつらいです。
やっぱり平和な気持ちがいいですから。
(追記1)これだけのことを書きましたから「酒井式」の内容については十分知っています。ですから私の批判に対して「酒井式」のくわしい説明は結構です。なにしろ25年以上も前から知っていましたし。消えてなくなると思っていたのですが。
NHK「わくわく授業」も酒井式も児童画の発達理論を視野に入れていません。特に酒井式が幼稚園で行われるとき、子どもの創造性の芽をうばいとるということがわかると思います。
酒井式の方々からすると幼稚園だって教育なのだから教える事はあるということになるでしょう。しかし「幼稚園教育要領」が、なぜ「幼稚園指導要領」という言葉を使っていないのかもお考えください。また「幼稚園教育要領」の中で「環境」が大きく取り上げられていますが、そのことも考えていただきたいと思います。
この内容についてもNHKの番組のディレクターに送信します。
覚悟を決めて書いた重要記事です。
(追記2)
2008年夏、北海道教職員組合から美術教育の「共同研究者」を突然解任されていました。事前に解任の知らせもなく、別の件で問い合わせたらもう共同研究者の名簿にはありませんとのことでした。ひどいなあ。こんな扱い。信じられない仕打ちです。
「特定の研究団体の批判はしないでください。」と北教組本部から何度か言われていました。
この件で、北教組という団体にいても、発言を組織のためにコントロールされるならば、もはや、その組織にいる意味はないと思いました。
非常に悲しかったです。ブログをやっていて起きた大きな変化でした。
(追記3)
学習指導要領が改訂(平成20年3月告示)されて小中のつながりが、しっかりしました。中でも「共通事項」の考え方は小中をつなげる大切な役割を果たしています。(音楽の「共通事項」と考え方は異なります)
また小学校図画工作の目標に「感性を働かせながら」という言葉が入りました。酒井式は大人が描かせたい子ども風の絵を子どもの手を使って描かせる絵です、子どもの感性が働く余地はほとんどないでしょう。
今回の記事、正直なんと言葉をかけていいものかと悩んでしまいました。その覚悟の強さ、思いの強さ、その中で静寂の中に優しさを見つけ求める支笏湖の写真…。
不思議ですね… 支笏湖の写真がとても優しい視点で撮られているように感じました。
私は酒井式に関して山崎先生の足元にも及ばない程度の知識しかありません。まだまだ関わってきた人の数も少ないでしょう・・・ そんな私がどれだけの力になるのかわからないまま自分自身、自問自答しながら自分のブログでも発信してます…。
う~ん… 何が言いたいのかわからなくなってきましたが、とにかく、こんな私ですが、手伝えることあったら言ってください。本当に微力ですが…。
もっと、もっと、本当は単純なことなんだろうな・・・フッと最近そんな思いに駆られます・・・。がんばっていきまっしょい!!!
指示待ち人間の問題がありますね。美術って自己決定の連続で成り立つ世界じゃないですか、そこがないんですから。
酒井式の批判する時間はもったいないです。ただ美術教育の本質を考えてみるきっかけとしてはいいかもしれませんが。たまたま酒井式に話はいっていますが、私たちの実践の中にももっともっと考えていかなければならないことは多いですよね。今回はNHKが広告塔になってしまったし、これ以上被害者は増やしたくなので。
私もここを初めとして皆さんのブログを見ながら色々考えています。仕事も遅れてしまいます。でも,決して無駄にはならないと思っています。
そうですね。酒井式の批判は無駄ではないです。事実、このところ私も久しぶりに相当な数の本も読んでみました。
なぜ、こんな状況になってしまったのか、それは児童画への理解が世間の中でまだまだ不足しているからです。
私は若い世代の親御さんへ、そのことを広く理解していただくことも必要と感じています。そのことを酒井式やNHKが教えてくれたのだろうと思っています。
時間がもったいないというのは、指導要領の見直しが気になっているのです。ここに着目しないといけません。文部科学省のHPは要注目です。
東京都小学校教諭のyoです。
酒井式は気になっていました。検索をかけたところ、こちらにお邪魔することになりました。
たいへん勉強になりました。
図工はまだまだわからないことだらけなので、これからも見に来ると思います。よろしくお願いします。
また、私のブログに少々リンクを引用させていただきました。
(TBも送ります)
酒井式をやってみたけれど、子どもは集中するし…。どこがいけないの?でもちょっと、どこかでひっかかる、そんな感じの方に読んでいただけたらうれしいです。これからも、どうぞよろしくお願いします。
勉強などといわず、互いに交流し学び合いたいですね。
ただ、親の立場でいうと、学校に行かせると、好きで自由に描いてればいいだけではすまないのが痛し痒しです。生活科の観察日記、国語の絵日記、算数も図形で四角や丸を組み合わせるなんていうのも出てきます。しっかり形を捉えて描写しないと、評価されない場面は1年生にもあります。せっかちで雑なタイプなので、こういうのが一切ダメとなると、親はやはりなんとかせねばと思うものです。
だから、ゆっくり描くということを「かたつむり」というわかりやすい言葉でいいなと思いましたよ。字を書くときにも「かたつむりでね」と声をかけると、ていねいにやろうとするので「かたつむり」という言葉をもらっただけでもよかったかなと思っています。
ところが、だんだん、コンクール用の絵を描かされることが増え、イヤになりました。“のびのび描いた”お子さんの絵が入選すると「○○ちゃんの絵が入賞しました」と派手にHPで宣伝されます。すると生徒も増えますし、それを見た別の絵画展の主催者の方から「絵が集まらないので」とお願いされるようになり、ますますコンクールの絵を描かされます。
のびのび描けるお子さんは、先生も熱が入り、それ以外の子は「はい、よく描けたね」でおしまいになってしまい、親の私がバカバカしくなって、辞めました。子どももお題をイメージできないことも多いようで、仕方なく描いてるような絵になっていたので、潮時でした。
30代の若い先生で児童画についてもよく勉強されているようでしたから子どもの絵がわかっているのだとは思います。が、自由に描くとは本当に難しいものだと、勉強になりました。長々と書いてしまいすいません。不快でしたら削除してください。
今、ぎんなんさんの話題にされている絵はどちらかとうと「作品」としての絵なのかもしれません。
低学年くらいまでは、絵は「お話」という部分が多いはずです。大人の尺度で見て「評価」ばかりされていたら、たまりませんね、コンクールはやはり、こんなお話を伺うと、やはり「負」の面も多いなあと思います。参考になりました。
KIDS ART LABOというサイトはおすすめです。
「音楽教育あれこれ」も読ませていただきました。ものすごく共感する部分が多く、驚いています。
こんな真摯な姿勢に触れるとなんだかとてもうれしいし、楽しくなってきます。
私も過去に同じ道をたどったこともあります。大きな反省があります。笹木さんの言われていること、すごくよくわかります。
音楽教育との共通点見えてきそうです。
表現は子どものためのもの、生きる証でありたいですね。
つづく
教科書も、事例は載っていて、考え方の大枠は示してあっても、それをどのように授業として成立させるかは書かれていませんから。特に図工美術は考える余地が大きい。指導される先生の哲学がないと、子どもの中に育つものは筋が通らないですね。授業の導入や進め方の具体的な手だてを考えたり、準備をするのはかなりのエネルギーが必要ですしね。確かに、図工美術に関する優れた書籍もそんなには多くないので、若い先生は困る。そこで、酒井式の、ある意味、取り組みやすいところにはまってしまうのでしょうね。
このブログを覗くと、図工・美術を深く考えている方が、こんなにもいたのかと驚きます。志のある方、優れた実践や理念をお持ちの方々で、本ができると良いですねえ… 山崎先生、是非、呼びかけて実現させて頂きたい!
山口県造形教育研究会の「子どもの絵は語る」をよろしくお願いします。各地の、図工美術造形教育の中心になっておられる方々、事務局の方々、必要であれば、私のポケットマネーでサンプルを送ります。ご連絡を! noza93@yamaguchi-u.ac.jp
こうやって、言いたいことを文章で表すと、どうしても言葉が足りず誤解を生んだりするので、やや勇気がいります。いつも。
子どもの可能性を信じることがいかに、大事で、教育を豊かにしていくか、それを実感します。
酒井式の方々は、批判されると、すぐに「何も指導しなくていいのか?」なんて反論しますが、そんなわけはないですしね。
幼稚園児に最大の力を発揮させるために、幼稚園の先生は、とっても工夫をしています。
こんな批判よりも「子どもの絵は語る」のような本がたくさん読まれることのほうが大事かもしれません。
それにしても、のざきさんのコメント、うれしくて、うれしくて。今後もよろしくお願いします。
本校では、来週の金曜に研究会が開かれますが、「自己を表現したくなる授業の創造」というテーマで3年間取り組んできました。生徒が思わず自分の思いを表したくなるような授業とは…?と、全教員で考え,実践して来ました。是非、紀要をご一読頂きたいです。私のアドレスにご住所をお知らせ頂ければ、年内に送らせていただきます。
山口県では、明々後日火曜日に、県内から幼保,小中高の審査員が集まって学校美術展の審査会が行われます。朝9時頃から夕方までかかっての審査ですが、幹事十数人は、附属山口中学校で深夜(例年1時ぐらい)までかけて,入選者名簿の作成と、学校賞の選出作業です。
さて、「自己を表現したくなる授業」、これです!これ!大事なことであり、核心をついています。全教員で3年間取り組んで来たということにも、強い興味を持ちました。
審査、北海道でも2日間びっしりやっています。
しかし、今後指導要領の改訂に伴い、中学校から選択教科が消え,その影響から美術教師の数は減って行くと予測されます。何とか、くいとめないと!
だから、何とかしないとならないと考えています。
このブログでもそのことはあつかっていきますし、実際にアクションもしていけないと思っています。
こうして、同じ思いをしている方の存在を知るだけでも、心強いです!
それは、さておき、ダメなものはダメって言ってこないからこんな風に広まってしまったの実情でしょう。これは私も含めた美術教育界の責任です。