自らの手で美しい形を生み出す姿(その1)
2005年 10月 12日
さて、その授業の中での一コマ。
一本の曲線、私なら数秒で描けるであろうなめらかな曲線。
授業では、あまり落ち着きのないAくん、アイディアスケッチをもとに下がきをしていた。適当な曲線をさっと描いて終わりそうでした。
授業の途中でPUMAのマークを2種類示しました。一方はオリジナル、もう一方は多少線の歪んだPUMA。その歪んだPUMAのマークを示して「このマークついている商品買う?」と聞いたら笑っていました。ついでにミッフィーを黒板に描いたら笑われてしまいました。似ていないのです。「やっぱ、プロはすごいなあ」
それからカーデザインの話にも触れたり、卵の線の見事さにふれたり、レタリングの文字の美しさに触れたり。
で、スケッチをはじめる前に何の気なしに「車好きな人いる?」って聞いたらAくんも含めて何人か手をあげた「カーデザイナー」ってすごいよねえ、美しい形をつくりあげるんだから。
で、下書きがまたはじまりました。何気なくA君のところに行って「どこのメーカー好きなの?」って聞いたら、ジャガーとフェラーリだという。でジャガーのボディラインの美しさの話になりました。
で、彼は今まで描いていた線を消すと、ゆっくり慎重に線をかきはじめました。描いては見直し、描いては見直し、で最後に消してしまいました。
3度目は筆圧を弱めて描いていました。彼の表情は真剣そのものです。まさに美しい形を追求している姿です。そこには時間内で描こうとか真剣にやらなくてはならないという意識はなでしょう。ただひたすら自分が納得のいく美しい形を追求しているのです。
授業のはじまりと終わりでこんなにも意識が違う。素晴らしい事です。
この事実を学級で紹介しました。描いてあるのは三つのまるい多少歪んだ形です。でもクラスの子ども達はそれを真剣に見ていました。
実は私はAくんに注目していたのですが、他のところでも似たようなことがありました。何やら計算をしながら点を打ち、それをつなげて描いた生徒。いっぱい描いた形をひとつづつなめらかにしていく生徒。(こんな姿を親に見せたい!)
作品も大事です。しかしその子ども達の行為の中に本当の学ぶ価値が見えてきます。
いつもこんな感じでいくといいんですが…このクラスは忘れものが多く指導したのでした。(本当は美術の授業が楽しみで楽しみでたまらないなら、忘れ物はそんなにしないはずなんですが…)
でも「子どもの学ぶ姿の素晴らしさを一般の人々に、もっと訴えていくべき」という文部科学省の奥村高明さんの言葉を聞いて「そうだよなあ」と思いこんな記事を書いたのでした。
どちらにせよ、生徒の純粋な姿を見ると美術教師の喜びを感じるのでした。
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私がよく使う「ゆらぎ」ということばの中心となるべき指導事例です。
現場を離れてこの感覚を忘れかけています。
思い出させていただき,ありがとうございました。
実は最近のブログがどうもちょっと違ってきたかななんて思っていたので、逆にありがとうなんて言われると、こちらこそありがとうって感じです。
子どもの姿でこうやってSynさんと共感できるのはうれしいです。やっぱ。これですよね。これ!