教室は間違うところだ
2006年 10月 01日
最近の効率的で成果をすぐに出さないとならないこんなときだから、広く知られた方がいい、そう思います。
来春からはじまる学力テスト、親・世間・教師・子どもの学力観を狭めはしないだろうか、マスコミはどう報じるだろう?
何のために、学ぶのか、シンプルに言えば、自分が人が幸せになっていくためだと思います。
そして、その学びの中で得るものの大きさ。
「教室はまちがうところだ」 (蒔田 晋治)の詩からその一部を紹介します。
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教室は間違うところだ。みんな、どしどし手を上げて。
まちがった意見を言おうじゃないか.まちがった答えを言おうじゃないか
間違ったことを恐れちゃいけない。間違った者を笑っちゃいけない。
間違った意見を、間違った答えを、ああじゃないか、こうじゃないか
とみんなで出し合い、言い合う中でだ、本当のものを見つけていくのだ。
そうして、みんなで伸びていくのだ。
☆ 「教室はまちがうところだ」蒔田 晋治 (著), 長谷川 知子 (絵)
↑この詩の全文は本を購入されて。このような本は是非売れてほしい。
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このような考え方はもちろん「美術」の時間でも同じです。入学してきた頃の子ども達の中には自分の絵を隠して描く子がいるんです。そんな子どもの気持ちを大事にしながら授業をしないと。授業を進めていくうちにいつしかそんな姿は見えなくなります。
全員の作品を飾る場合は「作品掲示拒否権」も与えています。この拒否権はほとんど行使されませんが、拒否しようかなと思っている生徒と話をするんです。子どもの気持ちがわかってとても勉強になります。
黒板全面に広用紙に書いて貼ったり、みんなで音読の練習にしたり、教室の横に掲示したり、学級通信に載せたり、懇談会で引用したり。授業もしましたね。
だからいつのまにか「教室は間違うところだよ」は、常に授業での自分の口癖になっていました。。(実際はかなり長い詩ですよね。だから使うのは山崎さんが紹介されている部分が多かったです)
最近は、詩をB4ぐらいの小さな紙に書いて、教室のドアや掲示板にさりげなく貼っておくことが多かったですね。今、担任を離れ、掲示はしませんが、忘れられない詩です。
やっぱり美術の前に子どもがいますから。昔は美術があって、そこに子どもというスタンスが主だったなあと思っています。
ところで、この詩は私は明治図書の坂本光男氏などが手がけた教育実践の全集で知りました。衝撃でした。
これが絵本になったのは画期的ですね。売れてほしいなあ。
ところで、saibikanさんがこの詩をあらゆる場で活用されているのを知り、なるほどなあと思いました。学級通信や懇談会での使用は大事なことですね。