ごく普通の題材について考える…例えば自画像

札幌市中学校美術展の膨大な数の作品を見ながら、いろいろと考えました。例えば自画像です。ごく一般的な題材ですが、作品をよく見ていると、そこで子どもが何を学んでいるのか、実はその指導によってかなり違いがあるということを改めて実感させられました。
 それは画材が違うというレベルの話ではなく、もっと本質的なことです。
 この作品をつくっていた子どもの頭や心の中で何が起こっているのか、そこをつきつめて考えてみる必要もあるでしょう。
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08年の全道造形教育研究大会では、ごく当たり前の題材をやってみたいなと思っていましたが、この展覧会を見ていてますますその思いが強くなってきました。
もしかして、公開授業に合わせて似た題材を展示したり、提言していただいたら、何を育むべきかということがより鮮明になるのではないかという気がしています。(ただし、クラス全員の作品を前に考えることが大事です。制作中の子どもの姿が映し出されたビデオがあればベスト)
 北海道では免許ナシで授業をしている先生が多いだけに、このごく普通の題材について掘り下げて考えることは、非常に大事になってくると思います。
 具体的な指導法をめぐって論議することで教科の存在理由にかかわる本質論を語ることになるでしょう。
比べて考えることは、私たちに葛藤を生み出し、本質を考える方向へと向かわせてくれると思います。



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ところで上から2枚目の作品に示された子どもたちの作品「今の私」にこめた意図や願いを読んで、どんな指導をしたのだろうと思いました。子どもが自分と向き合い前を見ているんです。

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(追記 )2021年7月

 2006年時点では、中学校3年生の「自画像」は価値があるものとして考えていましたが、ここにあげていたような自画像はやめていました。自画像を発展させて考え出した「自分の存在証明」ということに取り組んでいました。
 「自分の存在証明」は「卒業制作」でもあります。


Commented by 通りすがり at 2006-11-25 21:29 x
タレこみです。
幼稚園で酒井式。見事に全部同じです。
Commented by 通りすがり at 2006-11-25 21:32 x
URL抜けました。以下のサイトです。
http://plaza.rakuten.co.jp/mimaya31920/diary/200611240000/
Commented by yumemasa at 2006-11-25 22:04
リンク先を見てきました。親御さんも本格的な絵ということで喜んでおられますすね…。指導された先生もうれしかったでしょう。子どももほめられてうれしいでしょう。
なんだか胸がしめつけられる思いです。
子どもが自分の頭や心を使わずに指導者の言われるがままに絵をかいてしまうという、そのことを問題としています。
今年の4月、入学したばかりの1年生が私をモデルにして絵を描いたのですが、その中の一人が完全に酒井式でした。もう私をほとんど見ず、様式化して描いているのです。
この生徒は今は普通に描くようになりましたが、個別の声かけも必要でした。
Commented by hakusuke at 2006-11-27 21:08
通りすがりさんのブログ,閲覧させていただきました。やはり難しいですね。県の図画工作展覧会会場では,非常に酒井式指導は減ったと,私は感じます。数年審査会にも参加していたので,酒井式指導は,減ったなぁ・・・と感じていました。しかし,最近のツーウェイの案内を立ち読みチェックしていたところ,この郡部地域にまで,酒井先生自ら出向いて講義されていた様子。案外展覧会会場にこそ出展されていないものの,私の住む地域では指導されている児童たちが多いのかもしれません。ハスブブルグ家の内容が掲載されていた8月号。内容に投稿した県内の学校名みていてもそう感じた私なのでした。自分が住んでいる県でありながら,悲しい。
Commented by yumemasa at 2006-11-27 21:41
酒井式は北海道でもすごく広がっています。図工の指導に自信がない先生が手を出してしまうのです。すべて善意からです。身銭を切っての参加です。
展覧会では一度に多数の作品を出さないように指導されています。北海道の教育美術展では酒井式では入選出来ません。そこに子どもの思いが見えないからです。描かされている絵だからです。酒井式はコンクールで認められるから素晴らしいと自ら宣伝していましたが…。
というわけで、酒井式に手等出さなくてもいいように小学校の先生をサポートしていかなくてはならないと考えています。
酒井式を意識してではありませんが、今度近くの小学校に講師として図工指導の研修会を開催します。
Commented by 青木 at 2006-11-27 23:33 x
あのブログにコメントした方々は、「描かされている」事実を知らないのでしょう。
「観察力が優れている」→観察はしてません
「もうちょっと写実的な絵を見たいな~」→この年齢の子どもに写実を要求する必要はありません。迷路を自由に描く子どもの方がずっと魅力的です。

と、こんな感じでしょうか?
図工指導の研修、いいですね~。私ももう少し貫禄があればやりたいところですが・・・・。
Commented by yumemasa at 2006-11-27 23:56
その通りですね。実は美術教育の危機がやってくるのは、こんな感覚の方がまだまだたくさんいらっしゃるからだと思います。そんなわけで、このブログのカテゴリーに「美術教育の啓発活動」というカテゴリーをつくったわけです。これを今後やっていかないと、また危機がやってきます。その時はあとがないかも。次の次の指導要領改訂を見越した取り組みが必要と痛切に感じています。
今回「子どもにとっての貴重な時間」をつくらせていただきましたが、あれだけでも、賛同していただいた方がいらっしゃいましたから…。
ただ、あれもこれもありますから…。みなさんでつながり、力を出し合っていくしかないですね。
子どもが幸せに生きていけるようにするために義務教育では何をやらなければならないのか、その本質をかんがえなきゃならないでしょうね。
by yumemasa | 2006-11-25 21:18 | 子どもの表現 | Comments(7)

「美術教育」や「自然」に関するブログ。人々がより幸せになるための美術教育について考え、行動します。北海道北広島市在住。中学校教諭32年、大学で幼児教育・初等教育担当8年。現在、時間講師。


by 山崎正明