ごく普通の題材について考える…例えば自画像
2006年 11月 25日
それは画材が違うというレベルの話ではなく、もっと本質的なことです。
この作品をつくっていた子どもの頭や心の中で何が起こっているのか、そこをつきつめて考えてみる必要もあるでしょう。
北海道では免許ナシで授業をしている先生が多いだけに、このごく普通の題材について掘り下げて考えることは、非常に大事になってくると思います。
具体的な指導法をめぐって論議することで教科の存在理由にかかわる本質論を語ることになるでしょう。
比べて考えることは、私たちに葛藤を生み出し、本質を考える方向へと向かわせてくれると思います。
ところで上から2枚目の作品に示された子どもたちの作品「今の私」にこめた意図や願いを読んで、どんな指導をしたのだろうと思いました。子どもが自分と向き合い前を見ているんです。
幼稚園で酒井式。見事に全部同じです。
なんだか胸がしめつけられる思いです。
子どもが自分の頭や心を使わずに指導者の言われるがままに絵をかいてしまうという、そのことを問題としています。
今年の4月、入学したばかりの1年生が私をモデルにして絵を描いたのですが、その中の一人が完全に酒井式でした。もう私をほとんど見ず、様式化して描いているのです。
この生徒は今は普通に描くようになりましたが、個別の声かけも必要でした。
展覧会では一度に多数の作品を出さないように指導されています。北海道の教育美術展では酒井式では入選出来ません。そこに子どもの思いが見えないからです。描かされている絵だからです。酒井式はコンクールで認められるから素晴らしいと自ら宣伝していましたが…。
というわけで、酒井式に手等出さなくてもいいように小学校の先生をサポートしていかなくてはならないと考えています。
酒井式を意識してではありませんが、今度近くの小学校に講師として図工指導の研修会を開催します。
「観察力が優れている」→観察はしてません
「もうちょっと写実的な絵を見たいな~」→この年齢の子どもに写実を要求する必要はありません。迷路を自由に描く子どもの方がずっと魅力的です。
と、こんな感じでしょうか?
図工指導の研修、いいですね~。私ももう少し貫禄があればやりたいところですが・・・・。
今回「子どもにとっての貴重な時間」をつくらせていただきましたが、あれだけでも、賛同していただいた方がいらっしゃいましたから…。
ただ、あれもこれもありますから…。みなさんでつながり、力を出し合っていくしかないですね。
子どもが幸せに生きていけるようにするために義務教育では何をやらなければならないのか、その本質をかんがえなきゃならないでしょうね。