カウンター35万

35万。やはり数字が増えるのはうれしいものです。アクセスしていただいてありがとうございます。
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自宅近くでのんびりしているアオサギ発見!こういう場面に出会うと自然を感じてうれしくなりますが、
逆に言うならば、それだけ自然に進出してきているというわけで、複雑な心境。私の住んでいる住宅地はもと湿地帯だったんです。



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コンパクトデジカメLumixFZ7のデジタルズームで撮影。実は偽色が出てphotoshopで多少修正しました。
Commented by wada-tsu-umi at 2007-05-15 00:29
 アオサギはまだ野生の姿を見たことがありません。とても存在感がありますね。ぜひ会ってみたい鳥です。
 田んぼにもよくくるものだという話もありますから、身近に出会えるのは単純に宅地化が問題でもないのかもしれません。むしろ今森光彦氏の定義する「里山」が日本中にあった時代には、もっと身近な鳥のひとつだったのではないかな、とも思います。その意味では「大事な環境が残っている」のではないかと考えました。
Commented by yumemasa at 2007-05-15 01:06
 大きな鳥ですから存在感は大きいです。今日も通勤している途中に見ました。このあたりは確かに水田が多いです。
本州の「里山」ってあこがれます。北海道は歴史が浅いですから。もう広い面積を機会でドーンと。本州に行って水田を見るとその大きさの違いに驚きました。
 ところで「大事な環境が残っている」とう考え方をすると前向きになれますね。そうですね。
Commented by wada-tsu-umi at 2007-05-16 01:08
 今森光彦氏は「里山とは、山や森林だけでなく、田んぼや人家など、生き物と人とがともに暮らしているすべての土地のことをいうのだと、ぼくは思っています」と、著書「里山を歩こう」で述べています。(「定義」ではありませんね…)わたしはこの今森さんの発言に共感します。人の家の近くに、巨大な規模でも水田があって、そこに生き物と人とが一定の関係と距離を持って一緒に暮らしているなら、それは里山なのではないかな、と思ったのです。棚田や鎮守の森がなくとも。風景は全く違っても。里山というのは一面では生活のありかたを言うのかもしれないな、と。
 北海道の雄大な光景にはあこがれます。その土地で水田耕作を可能にしてしまった人類の可能性、自然と向き合って生きてきた人々、自然とたたかって生きてきた人々、そして自然のなかで生き抜いている生き物たちに。
Commented by yumemasa at 2007-05-16 21:29
私の祖父が金沢から北海道に入植したころは、そこは荒れ地だったそうです。当たり前ですが。今、そこには広大な水田が広がっています。私のいとこが経営しています。
あまりに広くて車で移動して農作業をしています。
祖父がその頃、はじめてトラクターを導入したそうです。日本製はなくアメリカ製でした。近所の農家にはあんな機械で何をやるんだ?って笑われていたそうです。
いま、そんなことを思い出しました。私が子どもの頃はそれこそ、蛍が乱舞していました。
今は自然は減ってしまいました。木は自然林ではなく防風林です。
入植した頃の祖父の話を生前にもっと聞いておけばよかったなあと思います。
なんか大事なことを思い出させていただいたなあと思います。ありがとうございます。
by yumemasa | 2007-05-12 22:30 | ブログ | Comments(4)

「美術教育」や「自然」に関するブログ。人々がより幸せになるための美術教育について考え、行動します。北海道北広島市在住。中学校教諭32年、大学で幼児教育・初等教育担当8年。現在、時間講師。


by 山崎正明