教育再生? 今の若者、悪いことだけ?学校はダメ?

先日から「体育祭」のビデオ編集をしていました。映像を見ていると熱心に頑張る生徒の姿を見てなんだか泣けてきました。見事なタイミングでバトンを渡す姿。選手が席に戻るときおきる拍手。緊張した表情で押すストップウォッチ。選手が跳んだあと手早く砂地を整地する姿。仲間に声援をおくる姿。ころんでも必死になって起き上がる姿。閉会式で頭ひとつ動かさない集中感。当日は教師の指示がほとんどない。
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こんな素晴らしい若者の姿はマスコミを通しては表に出てこない。
 一頃、「運動会は手をつないでゴール」という私も聞いたことがないような例を偉い方々がとりあげ、学校教育を批判していました。(なんと現場を知らないことか!)さすがに昨年の国会で、またしてもこの例を取り上げた発言に厳しい批判があった。

 さて「徳育」は教科書で教えるのでしょうか。そう言っている方々にこのような教育現場の姿を見て欲しい。もちろん当日だけでは不十分。それに向けての練習で集団の中で起きるさまざまな葛藤。それを解決していこうとする姿。もめ事も起きます。でも、それを乗りこえてこその当日。それをサポートするのが教師の仕事。もちろんいつもうまくいくとは限らない。当たり前ですが…。

 例えば「徳育」の教科書を子どもに読ませて「協力は大事ですよ」「責任を持つことは大事ですよ」。それで通じるとでも思っているのでしょうか。
 昔の企業のように自分を押し殺して会社の言うことを素直に受け入れるたり、愛国心を持って、お国のためなら自分の命を投げうつような人材を育てるならば、徳育を絶大な力で推し進めることがよいのでしょうが。
 子どもたちは生きています、いろいろな感じ方や考え方があります。そこからスタートします。徳目があって、その徳目のために生きているわけではありません。

 子どもの生の姿をじっくり見ないで教育を語るえらい方々にぜひ見ていただきたい。学校現場を。でも見るべきは有名私立などではないです。 (再生会議で視察した最初の学校は有名私立校でした)
普通の公立学校の現場の子どもたちの姿を見て、何を学んでいるか、見ていただきたい。
感性や想像力・分析力を働かせて。数字ではわからないことがたくさんあります。
体育祭を漫然と観ているだけでは、わからないことがたくさんあります。単に一生懸命だとか、運動能力とか…それだけではありません。数字主義とは違います。

学力、学力、学力、徳育、徳育、徳育…

で、このような行事の価値も見直していただきたいなと思います。
Commented by 斎藤啓代 at 2007-06-02 18:08 x
 生徒の一生懸命な姿ってすてきですよね。私は、楽天家なので、徳育が教科であってもいいのかなと思うのです。修身と徳育は違うので、様々な考え方を知る機会として、自分以外の人の心の持ちようを想像できる教科かなと思って見ています。愛国心も前提として、命の大切さがあるので、自分の生まれ育った環境を大切にする姿勢につながるところは大切だと思っています。山崎さんが危惧するところもわかりますが
Commented by yumemasa at 2007-06-02 18:39
かつて愛国心という言葉が使われたときのことや、議員さんが修身の復活を唱えていたり、今の政治の流れで考えるこの「徳育」という言葉が出てきて、「そうですね」とはなりにくいのです。そもそも「道徳」がありながらです。
日の丸や君が代を尊重しなければ愛国心がないと判断されたり、処分されたりするのは怖いということです。東京では教師のホームページも点検されているようですから。議会の議事録を読んで驚きました。
まあ、何も意思表明をしないほうが無難です。
もちろん自分の住むところを大切にしていくことは大事ですよね。道徳の時間にいろいろな価値に触れて価値葛藤するのも大事なことでしょう。自分以外の方の考えに触れるというのは大賛成です。
徳育そのものよりも、徳育を唱える背景が気になるのです。純粋な考え方で発言されている方がほとんどと信じたいです。私の危惧であればよいのですが。
Commented by wada-tsu-umi at 2007-06-02 22:22
 教科ではない道徳にも授業の時間があったのに、わざわざ持ち出される理由を考えてみました。
 「教科」になる、というのは通知表に成績が載る、それによって人格が「評価」されるということになるのじゃないでしょうか…。わざわざ教科にするなんていうのはそういう意味なのかと感じたのですが。心に点数をつけることなんて本来不可能だしあってはならないと思います。もし、教科にするということが点数をつけることなのだとしたら、その「評価の基準」も為政者が為政者の都合のよいように決めることになってしまうのではないかと恐れます。
 教科にするという意図が本当に「点数をつける」ことなのかどうかはわかりませんが…。
Commented by yumemasa at 2007-06-03 17:35
実はこの会議で点数化しようという話が出ていました。さすがに、それは見送られましたが…。
ですから怖いのです。私のなどの徳育が点数化されたら恐ろしいことになるでしょうね。
しかし、この徳育を強調することより、もっと体験を通して学ぶことを大事にしてほしいのです。
最初から今の教育はダメが前提ですから…。でも見直すと価値あるものはたくさんあるのですけれども。
Commented by frok at 2007-06-03 21:10 x
「徳育」は評価基準がなく、実質は評価が為されないと教育再生会議の事務局長殿が仰ってましたね(by テレビ)
教科に組み込んだ理由の一つとして、教師側に対する取り組みの強制があると感じます。本来ならば学校という社会縮図の場そのものが、いわゆる「徳育」としての学びの対象であるはず。そうした背景に埋もれがちな(と思われがちな)学校教育の意義を前景化する行為。メディアを通して大衆に「徳育」に対する自覚的な目を与え、教育現場への監視を強める、プレッシャーの何物でもない。
なにせ、「徳育のプランは特に決めておりません。各学校現場で自由に特色あるカリキュラムを考えてください」だそうですから。
Commented by yumemasa at 2007-06-03 22:45
frokさんがブログの中の「あだなを禁止してどうする?」で書かれていた「学校という空間が、子どもたちにとって様々な他者の存在する空間こそが、学びの対象」本当にこのようなことが理解されていないからかもしれませんね。
会議のメンバーにどうして教育現場の方々がいないのか、そこが不思議でなりません。教師など信用していないというような考えの方もメンバーにいらっしゃるようで。そのような反映でしょうか。
例えばこの体育祭をつくるにあたり、子どもの中にどんな力を育むべきかなんて論議が現場でされているのは、想像できないのかもしれません。

by yumemasa | 2007-06-02 17:04 | Comments(6)

「美術教育」や「自然」に関するブログ。人々がより幸せになるための美術教育について考え、行動します。北海道北広島市在住。中学校教諭32年、大学で幼児教育・初等教育担当8年。現在、時間講師。


by 山崎正明