Power to the Art Education !
2007年 12月 30日
読みごたえあり!研究会に参加したつもりで読むならば850円は安い。
ただし、文字は小さいです、でもページ増。(内容は1.教科論 2.指導論 3.教師論)
この企画主旨に共感します。無難な本をつくろうとはしていません。この雑誌を通して新たな動きを、そして力を生み出そうとしいます。
☆ 美育文化
この企画の趣旨が素晴らしいので以下に転載させていただきました。
(この記事については「美育文化」誌に連絡しています。)
*******企画の趣旨********
戦前と戦後の美術教育のちがいは何か。
教科書を開けば、それは一目瞭然です。戦前にはなく、戦後になって初めて生まれたもの、それは「子どもの絵」です。
「新定画帖」以来、1945年までの教科書に、子どもの絵はただの1枚も掲載されていません。もちろん戦前にも児童擁護の救済思想は、一部で主張されてはました。けれども、子どもという存在が独自の文化として認知され、とりわけ、その表現が、一人ひとりの子どもの個性の表われとして意識され、尊重すべきだと考えられたのは、たかだかこの60年あまりのことにすぎません。つまり所謂「児童画」は、戦後という時代の価値観を反映して生まれたと言えます。言い換えるなら、今日の図工・美術教育が根拠としてきたものは、この「戦後」的な価値観であったと思われます。
これによって、つまり子どもの立場に立つことによって、図工・美術教育は、それなりに豊かな成果を示し、子どもたちの個性や感性を育んできました。とりわけ、「子ども」という存在の理解に関して、直感的な子ども肯定論を、精神史や発達論によって捉え直し、「子ども」という概念が独自の文化的存在であることを明らかにしたことは大きな意味があったと思います。
また、この教科に不可欠である作品のイメージの質についても、美術という枠組みの中における「再現」の修練、すなわち「あったものをつくること」ではなく、まさしく、想像と創造の意味する「あったものではないものをつくる」という次元へと進化しつつあることは、自負すべきと思います。そして、これらの成果により、小学校において「造形遊び」が企図され、緒論はあるものの定着しつつあることには期待が持てる気がします。
けれども、昨今、その「戦後」の価値観を否定、あるいは超克すべきだという論調が台頭してきていることを感じます。ここには、戦後の個人主義社会が、個性化という課題を、ある意味でクリアしてしまったという事情があるのかもしれません。このため、今や個性的であることを声高に主張することは、むしろ陳腐化しており、「児童の個性の伸長こそ新しい教育の目標」であるとは単純に断じえない状況もたしかにあります。
私たちは無数の差異の中から選択するシステムに当面しており、そこに矮小化された個性を延命させているにすぎないのではないという不安を感じます。しかしそれが、管理社会の産物であることは誰の目にも明らかでしょう。かつては、明確に子ども救うための手段であり、方法であり、思想であった美術の力を、今こそ再構築することが切実に求められていると思います。これはもちろん、温順な子ども像への郷愁や旧来のシステムへの回帰を意味するものではないはずです。シンプルで明快な図工・美術教育の現代化を目指すべきでしょう。
他方、図工の美術教育に様々な課題や困難があることは、絶えず指摘されてきました。しかし、それは概ね斯界の内部問題と捉えて、教育課程の改善を図ることで克服しうるという楽観があったように思います。けれども、戦後美術教育の根拠自体が揺らいでいる現状にあっては、生半可な決意ではこの状況を打開することはできません。新しい視点からのみずみずしい提案と実践が求められています。
そこで、小誌では、下記の問題点を指摘し、斯界の現状を打開すべく、読者の皆さんの意見と提案を求めたいと考え、問題点を以下の3つのマトリックスに整理し、それぞれの具体的課題を提示させていただきました。
1.教科論
2.指導論
3.教師論
1-1 既成の表現ジャンルにとらわれない「造形遊び」のような目的的でない表現活動をどう考えていくべきか。
1-2 造形教育は読み、書き、計算のようにツールとしての知識・技術の教育としての方向を歩むべきか、情操を豊かにするという方向に特化していくべきか。
1-3 わが国の産業、生産と消費など生活に関わって造形教育は有効に機能してきたか。
1-4 教育課題の中でLD、ADHD、アスペルガー症候群など学習障害に造形教育は貢献できるか。
2-1 成果主義の導入により画一的な指導が行われるようになってきたか。
2-2 コンピュータなど現代的な表現機器は教育的な意味を見出すか。
2-3 鑑賞教育の重要性が指摘され、表現に関わる時間が減少してきたが、指導が形骸化していないか。
2-4 保護者の芸術観と指導の観点に大きな開きが感じられるか。
3-1 研究会、研修会は自らの指導姿勢を改める機会となったか。
3-2 指導場面に関わって表現の技術と児童・生徒の理解のどちらに重点をおくべきか。
3-3 学校では他の教科や活動よりも造形活動に関わる教科は後回しにされることが多いか。
3-4 目の前の子どもに自信を持って、オリジナリティーのある題材を提案できるか。
出せずじまいでした。残念です。
長い休みに入ると、ふと生徒から離れることもあって、
あれこれ美術について考えていたりします。
休みに入ってから、ここをはじめ、ブログやそのコメントを
傍観していましたが、
来年は、いっそのこと、美術教育がどうとかいう以前に、
自分自身を今一度見つめ直してみようかと思ったりしています。
そこから何が見えてくるか分かりませんが、
やってみる価値はあるかな?と思っています。
来年は、修行かな・・・(謎笑)
多分、年が明けたらブログを始めるかも知れません。
日々感じたことを忘れないで記録するために。
ただ、美術教育だけのブログにはしないと思います。
でも、美術教育につながるような内容にはなるかも知れません。
それでは、よいお年を!
明日は夕方から除夜の鐘を突きに千葉まで行ってきます!
いいですね、見つめ直すのも。角度を変えてみる、俯瞰してみる、いいじゃないですか!そういう意味ではこの「美育文化」は刺激になるかもしれません。
ブログはじめるといいなあ。
除夜の鐘を突くのですか!す、す、すごい。やってみたい。