「美術の授業にカメラ」 北海道 レポート(その3)
2008年 12月 20日


さて実は、この「選ぶ」ということについて、今年の全道造形教育研究大会で提案させていただいた「 育みたい力」の中でも大切にしているわけです。

山崎先生、うれしい話題提供です。ちょうど教育美術の2007年5月号に『「選択する」行為と「気付く」機会の重要性~よさや美しさを感ずる琴線を張るために』と題して、拙稿を載せています。長くなって恐縮ですが、引用してみますね。字数が多いので、二回に分けて。
海辺を歩く。きれいな貝や石ころを拾いながら歩く。いつの間にか手のひらはいっぱい。さらに美しいものを見つける。立ち止まって悩み始める。これまで拾ってきたものの中からひとつ砂の上に戻して、新たな一個を手のひらに確保する。さらに美しいもが・・・苦渋の選択の後、新たな貝がらを手のひらに迎える。(中略)誰もが海辺で経験したことのあるビーチコービングのこの悩める行為は、いったい何をしていたことになるのだろうか。浜辺の数多くの貝がらの中から、『これを拾おうか、それとも置いて行こうか」という悩める行為は、自己の美意識との問答の時間である。取捨選択を繰り返すうちに、『曲線の、より美しいもの』、『模様のより美しいもの』、と様々な選択する条件が定まり、自己の価値基準が煮詰められ、そして確定していく。
『よさ』や『美しさ』の価値観が根を下ろすのだ。(中略)生徒の言葉を借りれば、それは自分の思う理想のものに、『ピッタンコ』であり、『バッチシ』であり、『グー』なものを探し出すことである。
長くなってしまいましたが、写真を選ぶ行為は、自分の価値観を煮詰めていく、このことだと思うのです。
この「選ぶ」という行為の繰りかえしが、自分の美意識をつくりあげていく、自分自身をつくりあげていくことにもつながっていく。
生きていくことは「選ぶ」ことの繰り返しで成り立っている。何をどう選ぶか、その選び方はとても大事なのだ。そのような話をよく生徒に話してきました。
このカメラを使う授業の魅力、見えてきますね。
実は、授業ではあまりに急いだために、生徒にこの行為の持つ意味をちゃんと話せませんでした。
子ども自身が自分の学びに価値を感じるようにしていくのも、大事なことだと思っています。
いやあ、石狩の「育みたい力」も、いずれ見直したいと考えていますので、鈴木さんみたいな、たとえの話も考えて説明するといのかなあと思いました。
とにかく美術教育の価値、存在理由を説明しないと…
まさしくそうですね。今、3年生は自分の道を選択している真っ最中です。
選択の条件を数多く見つけた生徒は、より具体的な進路を考え、より具体的にその後の目指すものを持っているように思います。自分の価値基準を研ぎ澄ませることができるのだと思います。そういう点でも『選ぶ』という行為に焦点を当て、経験をつむことは重要だと思います。
これからルーブルに行ってきます。
ところで、うーん、鈴木先生の最後の一言「これからルーブルに行ってきます」、いいなあ。














