絵を通して中学生を知る
2011年 01月 23日
さて、今回 強く強く印象に残ったもの。札幌の舘内さんの指導から生まれた作品と指導者の姿勢です。私が注目したのは風景画です。中学校3年生の作品ですが、表現技法がまったく違います。透明な描法も、不透明な描法もあります。遠近の表現も様々です。
このようなことが可能なのは、3年生になるまでにどんな力を身につけさせ、どう発揮させるかまで見通しているからです。
そしてもうひとつ、何より注目すべきは、子どもが「ここを、こんな風に描きたい」(自分のお気に入りの場所)と強く思う授業をつくっているということです。
それぞれの絵について舘内さんに質問をすると、その絵を描いた生徒の思いを説明してくれます。教師が絵を通して子どもと対話し、子どもの発信をしっかり受信しているからすぐに説明できるのです。小学校と違い、中学校では 指導している生徒の数が多いので、意外と生徒の思いまで受けとめるまでには至っていないこともあります。さて右の絵を見てください。これは、野球部の子が描いた作品です。もうこれだけで、北海道の先生なら何を描きたかったのかピンと来るでしょう。この絵を見ていた札幌の塚野校長(もと野球少年)は「そうなんだよ、このバックネット裏ね、冬期のこの時期の練習が大事なんだよなあ」と深く、深く共感するのでした。つまり自分の知らない中学生の絵を見て大人がその思いに触れ「共感」して笑顔になっているんです。
この絵は、理科室を描いている事はわかります。鞄が置いてあるのは?
舘内さんに伺うと、「これは卓球部の生徒の作品。卓球部の顧問が理科の先生なので、卓球部の控え室は理科室なんです。本当はこのからだと月はここに見えないんですけどね」
よく見ると窓には雪がついています。冬場の部活動はすぐ暗くなってしまいます。
こんな風にこの絵を見ていくとこの生徒がどんな思いで部活動をしていたのか、想像してしまいます。いいなあ、中学生!って思いました。「低学力」?「ゆとり世代」?中学生をそんな視点からしか捉えないの?
学校教育の中で中学生のデリケートな心情に触れることが出来るのは何といっても「美術」でしょう。あとは「国語」か。
美術教育のこうした価値を知っていれば、「なくてもいい」とは簡単には言えないだろうと思います。
「絵画」がコミュニにケーションツールであるなら、この「共感」の姿勢は欠かせないでしょう。
これらの絵は「今を生きる中学生」が伝わってきます。これは自画像と言ってもよいと思います。
あー、この「絵を見る会」に参加できてよかったあ!でもひとつ、もったいないことが、ありました。それは石川さんの指導した絵が時間不足で話題にならなかったことです。私は気になった絵があって、そのことをあとで尋ねました。そこには深いお話がありました。「美術教育は生徒理解や生徒指導の力も持っていますね、」と他の方から言っていただけるような授業だと思いました。
さて、ややもすると 美術教育の研究会で話題になりがちなのが、どのような条件付けをして描かせたらこんなに立派な作品ができるのか、とか、どんな技術指導をすればいいのかとか、そんな話が中心になりがち。事実、私も若い頃は、そんなことを求めていました。そんな話し合いから見える中学生の姿は「集中していた」「頑張っていた」などになることが多い。でも、絵を通して身につける力は「集中」とか「根気」ではないはず。ただ、荒れていて大変な状況下では仕方がない場合もあるでしょうけど。
さて、最後に書いたような問題。それは岐阜の中学校の先生方も指摘しています。
《関連記事》
☆絵を通して子どもを知る
☆「いつも見かける中学生の印象と違います」
生徒は十人十色と言っておきながら仕上がる作品が一様になるのには本当に疑問です。(もちろん指導の目的,目標にもよりますが)
授業は生徒理解,生活指導,キャリア教育あってのことだなぁっと改めて感じています。
つまり、絵画を見る私達がどのモードで見るかということですね。それは授業にも言える事ですね。
いいなあ(これしか、いつも書けませんが)
手前のホームベースも気になりますが、奥の黒地の作品群も気になります。
思いがあると、表現力はついてきますよね・・・
思い、そしてこだわりなんだよな。
こだわりが画面のどこかに必ずでてくる。それを、私がしっかりと見つけ、のばす そんな目が欲しい。
授業では、できるだけ、テーマ(課題)に対して、自分の心と話す時間を設定しています。そこがうまく行けば、あとは、こちらの声をまたずに表現が始まっていきます。
でも、最後まで行き着けるのは半数くらい。なんとしてでも、全員を近づけたい。
授業が下手なんだろうな。
できるだけ、多くの先生方や保護者に観てもらい、そのこだわりを感じてもらえるように、みなさんの取り組みをみながら、考えあぐねています・・・
そう、思いとこだわり、これがあると子どもは力を発揮しますよね。表現方法も必要があるから工夫する。最近私のはこの工夫のことを「発明」みたいに感じる事もあります。
さてさて、miyazakiさんもよりよい授業を求める、私もそう、今はうまいかへたなんかよるも、きっと 今の自分よりよいものをでしょうね。
それは面白いから。
秋田で互いに充電しましょう!!!
楽しみですね。
miyazakiさんのこのコメント好きです。飾らないから。
これからも、どうぞよろしく。
舘内さん、この前の「作品を見る会」がものすごくうれしくて、どうしても記事にしておきたかったんです。
こんな舘内さんが全中美の札幌事務局というのは最高です。
でも、同じ風景の授業でも自画像を感じるものと、風景画でとどまっているものとありますね。
それは明らかに子どもの思いが違っています。今を生きる、ドラマのある風景、あるいは、リラックスしている感じの絵とか。
絵を語る事について石狩ではかなりできるようになってきたと思うんです。それをもっと深めたいですね、
他の地域との交流もおもいろい。
井上さんの例の菜の花畑の絵、絵を見る会で紹介させていただきました。
「絵を見る会」よかったですよ。秋田、楽しみですね。