授業改善 環境を変える |

抽象絵画を描いている授業の合間の時間を使って、行うので仕方がないと思い込んでいたのですが、思い切ってその時間を15〜20分程度にしました。
以前は6グループで交代していました。今回はクラスを2グループにし、前半と後半にしたのです。
阿修羅は別室に飾っておきました.。部屋はやや薄暗くしておきました。雰囲気が出るので。鑑賞が進むと、明るくしました。部屋に生徒をいれる時は、「ようこそ、みなさま、こちらでございます。」「ごゆっくりご覧ください」という言葉からはじめました。
環境(時間・場所・人数・私の雰囲気や立つ位置)を変えるだけで、こんなにも変わるものか!と強く実感しました。
そして授業改善の大切さ。
↓部屋に入るなり、生徒が集まってきました。私はいつものように、進行しようと思っていましたが、私の出る場面はなく、トークがはじまりました。見どころは満載です。表情、服、ポーズやその意味など。私は、時々つっこみを入れながらさりげなく舵取りをしました。



↓阿修羅をみんなで取り囲んで鑑賞する予定でしたが、自然発生的に鑑賞がはじまったので、そのままにしました。いわば、理想的な状況ですから。
ただし、こうなると阿修羅に近づいてい見えない生徒が出てきます。阿修羅を鑑賞していない生徒はこの部屋にある別の絵(常設)を鑑賞していました。



阿修羅像は,漫画の影響で生徒たちにはなじみのある仏像の一つです。今仮面の図案に取り入れている生徒がちらりほらり。
クラスをわけると鑑賞する人数としては やりやすいです。時間的にも。この部屋の他には図書室にビデオプロジェクターを持っていって鑑賞授業をしたこともあります。
「環境」を工夫すると子どもの活動明らかに違ってくるということを実感しました。

いるではないか。この姿はいいなーと思って写真に記録しました。自分たちで、日本の昔の美を探る行為、これは大人や地域社会の力が大きく作用します。見せることでわかること、見て体感すること、それが自己表現に変わるとき、それが世界を少しでも前進させる機動力だと思うとき、世界の美意識も変わっていく。小さいなーと思われる取り組みがいずれ大きな取り組み絵と変わっていく。見ることを通して、対話を通す中で行われる人間教育・これがまさに、人間の生きた教育だ。日本の伝統のみならず、世界のよいもの、そこにうごめく真実を子どもに伝え、理解させていくことが大切だと少しずつ思う。見るということ、考えるいうことは、国語力・社会科力・理科い力・数学力・音楽力・家庭科技術科の能力が、応用されて美術に息づくと思います。芸術とはまさにそれぞれの学問の総合体なのだ。第一の教科書は、目の前の自然の力だ。
遥か昔の作品を、こうして身近に鑑賞することの意味は大きいですね。それは知識を得る事と違いますから。
井上さんの「見て体感する」という言葉、その通りですね。