重くて、暗い絵?

 最初、この作品を見たとき暗く、重くて、嫌だなと思いました。しかし、生徒のこの作品への思いを書いた作文を読んで、その絵の見え方は一変しました。前を向いて生きていこうとする生徒の心が見えたのです。指導された先生のお話を伺い、まさに「表現」になっていると思いました。

 なお、このような作品は一般の方々は見る機会はほとんどないでしょう。コンクールに入選するような絵ではないからです。しかし、美術教育で果たしている役割は、このような人間教育としての美術教育という部分があるということをわかっていただきたいという思いもあってこの記事を書きました
 子どもの絵を上手い下手、才能などとらえている限り、何もわからないでしょう。そして残念ながら過去の美術教育がまた、そう思ってしまう大人を育てて来たのでしょう。

 美術教育の大切さは結果だけではなく、そのプロセスにあるということを、この授業は示していると思います。

 ただし、このような授業ばかりではなく、色や形を通してたの楽しむということも、もちろん大事にされています。誤解なきようお願いします。
 美術には絵画・彫刻・デザイン・工芸等の分野があります。


重くて、暗い絵?_b0068572_18175821.jpg←作者のことば「ドアの中の自分は、今、人前にいる自分を見ている本当の自分というか、人前にはあまり出てこない自分です。本当の自分はドアの中にかくれているのです。左の方から伸びている手は、今の自分が本当の自分を出そうとして、ドアをあけようとしているところで、ドアの中から伸びている手は、それを拒否しようとするドアの中にかくれている本当の自分の手です。左側の明るいほうは、みんながいる明るい場所で、右側の暗い方は、人前に出てこない本当の自分がかくれている暗い場所です。もっとかっくれている自分をだしていきたい。」
A先生は「彼が表に出ていないのには訳があった。ずっと彼を応援して来た私は、彼のこの作品がうれしかった。」とレポートの中で述べていました.


重くて、暗い絵?_b0068572_18191594.jpg←作者のことば「小学校の高学年位から、ちょっといやなことがあるとすぐにおこって友だちを困らせていました。なおそうとしてもやっぱりおこってしまい周りの人にやつあたりしていました。中学に入って、自分の性格を直そうと本気で努力をしました。今は、過去の私にさよならしていこうとしています。背を向けているのは後ろから来ている手から逃げている私。その手は、前の嫌いだった自分。」
A先生は、「描くことだけによってだけでは決してないが、彼女がしなやかに変わっていくことに、描くことは何らかのかかわりがあったと思う。」とレポートで述べていました。

A先生のレポートから(実際のレポートはA4用紙で12ページ)

1、はじめに
「私は、子どもが「自分の思いや生き方を深くとらえ直しながら追求する造形活動」を美術の中核に据えいたいと考えている。「生徒の思いを引き出し、生徒の生き方をともに追求し、そのことが生徒の展望につながる美術教育」を目指した実践を報告する。」



2、自我と向き合う表現活動を通して
(1)「自我の像」が持つ意味
「多感な年頃の生徒の中には色々な思いが交錯している。絵画が単なる描写でなく。内面世界の表出であるとすれば、疾風怒濤の中学時代に「自我像」に取り組むことは、大きな意味を持っている。」

(2)「自我の像」の制作
「「思い出したくないこと、触れたくないことも含めて自分としっかり向き合おう。そのことが未来の展望につながるのだ。」と語りかけ、自分のこれまでのことを文に綴ってもらった。そして、「それを絵に表そう」と発展させ、「自我の像」の作品制作に入った。」(山崎注ーこの前段に、つらい家庭環境に育った少年が、教師との手紙のやり取りで自己を見つめながら立ち直っていくという実話を話している)

3、おわりに
「表出した思いは自らの展望へとつながっていった子もいたであろう。そうであれば、そこまで見届ける必要はないかもしれない。しかし、表出した思いが宙に浮いたままの子どもはどうすればよいのだろう。そこまでつきあう責任が授業者にあるのではないかと思い始めている。」(指導された先生とお話をしていて、この授業は今学年2学級だからできるが、それ以上になると、もう限界。という意味がわかりました。)

指導された先生に作品展示の時は作文もあわせて展示しているのかどうかを伺ったところ、生徒が嫌がらない限り(プライベートなことなので)は展示しているそうです。ほとんどの生徒が作文を同時に展示しているとのことでした。

 授業の中で子どもの何を表出させるかが問われているのかもしれません。私の授業「自分という人間の存在証明」も同様のスタンスですが、私はどちらかというと、未来や希望の部分を描いてもらいたいと思っています。一人一人がこの世にたったひとりの貴重な存在であるということを前提にしながら。
 ただ、この先生の授業のように、どこまで深く自分を見つめているかとなると、表面的に終わってしまう生徒も出てくるということも課題として残ります。過去の自分の嫌な部分を見るのではなく、自己肯定にの部分に注目して欲しいのですが。そこが難しいのです。ポジティブ、ネガティブなんて言葉もあります。
 私の授業では「先生描けない。」と言って来た生徒がいます。聞けば、「今までよい思い出なんかなかったし、希望も持てない、」というのです。くわしく話を聴きました。最後にあこがれのエーゲ海をイメージした青空を描きました。何度も何度も色を重ねながら。
 
 A先生の授業は3年生の1学期、私の授業は卒業記念、そんな位置づけからも、授業のねらいも構成も違ってきます。
 なお、 A先生は入学しての学級開きで5時間を使って、心開ける学級になるために、洗い流したい過去を流しさり、新しいスタートを切るための取り組みをしたそうで、厳しくもうれしい時間であったということでした。そんなA先生は1学期にこの授業を設定する必然があるのだと思います。

なお、共同研究者の東山明先生から「つらい部分をずっと描いていたら、描いている過程でずっとつらいのではないか」というご指摘もありました。この授業は違いますが。一般には気をつけなければならないことでは、あります。内面を表出というときに。表出してもらったからには、それを受けとめる教師の覚悟が必要です。

この授業に出会い、よかったなと思います。A先生に感謝。
Commented by liner-s at 2005-01-12 02:02
実に表現力豊かな作品ですね。
心の葛藤がうまく表現されていて、ぐっと惹きこまれます。

まず、師匠の文章を読まず、ここに掲載された作品だけを見て、何を思ってこの絵を描いたのか想像してみました。
何を思い、何を感じこの絵を描いたのか。
作者の心の中のイメージし、自分の感情を交差させてみる事はとても楽しいです。
そして、師匠の文章を読んで全て納得。

一般の方達が普段見る事のできない子供達の心の葛藤と作品を掲載する師匠のブログはほんと、素晴らしいの一言です(^^)
Commented by yumemasa at 2005-01-12 20:18
なるほど、先に文を読まずに。いいですね。linersさんの見方。指導された先生が生徒に深く向き合ったからこそ、できる授業だと思います。このような授業は半端な気持ちではできないです。そして、この作品を受けとめてくれる存在もまた重要です。豊かな表現というときは一般的には写実的な表現が巧みだったりすると、そう言われることが多いですが、まさに自分の心を誠実な態度で表現している、この生徒にしか、描けない絵です。いつもはユーモアたっぷりのLinersさんが、この作者の思いを受けとめてくれるって何かすごくうれしいです。
Commented by artshore at 2005-01-14 01:15
絵を見ていると、作者が進んでいこうとする世界は、たしかに暖色系で描かれていますが、やはり濁りがあって重さを感じます。人と交わることは手放しで喜べるものでもなく、けっこう面倒であるというのを、はからずも絵が訴えているのでしょうか。なにもかも勧善懲悪となるより、こういう悩み多き姿が垣間見えるほうが、豊かな感じがしますね。
Commented by yumemasa at 2005-01-14 02:36
artshoreさんのコメントは奥が深いです。発見があります。確かに明るいですが、くすんでも見えますね。この生徒は実際には知らない生徒ですが、どんな思い出この色をつけていったのでしょう。制作中の姿を想像してみました。きっと明るい世界を単純には描けなかったのでしょうか。勧善懲悪ではないことは当たっているような気がします。子どもなりのリアルな絵ですね。自分自身と向き合っているからこその作品であることは間違いありません。コメントいただきうれしかったです。
by yumemasa | 2005-01-11 18:28 | 子どもの表現 | Comments(4)

「美術教育」や「自然」に関するブログ。人々がより幸せになるための美術教育について考え、行動します。北海道北広島市在住。中学校教諭32年、大学で幼児教育・初等教育担当8年。現在、時間講師。


by 山崎正明