これまでの美術教育の研究成果はどこに行ってしまったのか? |
ショックでした。はっきり言ってそのうちの55冊が酒井式関係の本です(前田式や佐藤式も含めます)。版をかなり重ねている本もあり、売れていることがわかりました。
私の住む石狩ではそれほどの広がりを見せてはいませんので、楽観視していました。甘かったです。

そして、その書棚の少し離れたところに10冊程度、美術教育の本がおいてありました。あーあ。これだけ?
これまでも、よく造形教育に携わる方々が○○式などと、批判をしてきましたが…。
これまでの美術教育の研究成果はどこに行ってしまったのか?
もし、図工の指導で悩んでいる先生がいて、本屋さんに行ったら、半数以上が酒井式ですから、やはり手が出るのかなとも思います。「酒井式」の本を見ると「〜させる」という言葉が非常に多いことに気がつきます。「10歳の壁」という言葉も出てきます。過去日本も含めて世界各国で行われて来た児童画の発達段階(発達という言葉が適切かどうかは置いておきますが)などからは考えられない酒井式による「描かされた小学生の絵」。そのような実践をしておきながら、10歳の壁?
書店に一緒にいった妻に本を見せました。妻がいいました。「これがいい絵?」「この絵を全部並べて親に見せたら、親はどう思うのかな?」
(「酒井式」とは、どんな方法なのかをご存知ない方は、TOSSと入力し検索しますとインターネットランドと出てきますから、その中の「技能系教科」「図工美術」からお入り下さい。リンクしたいのですが禁止されています。TOSSの方で主旨を賛同している方か、公的機以外はリンクを禁じていますのでご了承ください。)
酒井式の広がりにショックを受けていた私に、妻がいいました。
「だって今まで放置して来たんでしょ!」まさにその通りです。
現場で「困った」「図工がわからない」といっていた先生を救っては来なかったのです。
教科書に準拠した「指導書」には「酒井式」はありません。指導書が現実問題として、説得力に欠けていたのでしょうか。
さらに妻は言いました。「美術の先生って、自分のことだけじゃないの?酒井式なんてバカにしていて、無視していたからという面もあるんじゃない?」どきりとしました。
妻が「酒井式の批判本でもを出したら?」と言いました.確かにありません。そんな本は。
しかし、それをしている時間はもうありません。それより前に、義務教育(特に中学校)から必修教科としての「美術」が消えるかもしれないのですから。
「中央教育審議会」で今後どんな話が行われていくのやら。今はそちらが、大きな問題です。何かできないものか?もう時間的なゆとりがなくなってきています。
最近パソコンに向かう私が気になっていた妻に、私がしようとしていることを理解してもらいました。このパソコンに向かう仕事は「期間限定」。もし、数年後に美術が消えたり、選択教科になってしまったら、私は、発信をする必要がなくなるでしょう。
今できることは「美術を必修教科として存続させる必要がある」というご意見をお持ちの方をたくさん見つけて協力して発信・受信していくことでしょうか。ここ半年、1年でどこまでできるか。
そして一番心しなければならないこと。目の前の子どもを大事にすることです、それは肝に銘じておきたい。
なお、酒井氏が校長をしていたときに、素晴らしい方だったとか、酒井式を他の先生方に押し付けることもなかったということを聞く機会がありました。
ここではっきりと言っておきたいことは、私は酒井式を批判しているのであって、酒井氏の人間性を否定しているわけではありません。
酒井氏のカタツムリの線と似たことを一部取り上げることは私もしています。(彼の発明ではないようですが)私だって美術教育を大事にしている酒井氏と接点を見つけられないかと思っているのですが…。立場の違いを乗り越えたいですが…。
★関連記事「酒井式」(会津造形サークル平塚出張所のひとりごと)
★関連記事「子どもの絵を語れますか?ー山崎先生のブログから」
(おおはしわあるど=ブログ)
★関連記事「酒井式に悩む親(その1)」
★関連記事「酒井式に悩む親(その2)」
★関連記事「酒井式に対する熱い論議 」
★関連記事「私のやってきたことは間違いだったかもしれない」
山崎正明

最後に、山崎さんのことについて、ブログで触れました。よろしければ、ご覧下さい
コメントが入ったことをうれしく思います。平塚さんの言葉を聞いて、この記事を書いてよかったと思います。いろいろな場面で人海戦術ですね。今まで真剣に美術教育をすすめてきたことが、たった一人の教師のハウツーでこんなに広がったのですから。逆もまたできるかもしれない。
「美術教育について、私はまったくわからない人間ですが、今、美術教育の現場がピンチだという山崎さんの切迫した感じが強く伝わってきて、思わずメールしてしまいました。(中略)私は、子供の頃、音楽や図工が大好きでしたので、それが、中学で、選択科目になったり、もしくはなくなってしまったら、と思うと、とても悲しいです。
「酒井式」という言葉自体初めて聞く自分ですが、私のような素人には、絵を描く事に○○式、××式、などというものがあることにさえ驚きを感じています。↓
だいたい私のようなアマノジャクは、○○式にのっとって絵を描きましょう!という事自体に反発を感じるわけです。
無論、何かを習うことは、当然、制約はつきものですし、先生から謙虚に学ぶ姿勢も大切なわけですが、基本的には、子供には、のびのびと描かせたらいいのではないか、と思います。
制約は、もう既に、紙と色鉛筆を持たせることから始まっています。それ以上の制約は子供には必要ないように思います。
当然、学ぶ側が(特に大人が)、酒井式を、それと意識して学ぶ分にはなんら問題はないですが。
大雑把に言えば、私がおぼろげに最重要だと思う事は、どこまで大人が子供の絵の描き方に介入して、どこまで子供にゆだねるか、という、そのバランスです。
書きながら、だんだんいろんな事が頭に浮かんできました(笑)。
でもそれを教師がしっかり受け止めるのはとても時間がかかることです。
一年で、決められたカリキュラムの中で、半ば義務的に、絵を描く時間も定められている。
その中で、確かに、ある方式のようなものがあれば、それは効率的で便利でしょう。でもそれは、子供のためではなく、教える側にとって効率的だという事で、子供が悩みに悩んで出てきたものの尊さとは根本的に違う。
教える事で、これはこうでなければならない、というような固定観念を子供が持ってしまうということが、科目を越えて、自分は怖いんです。
違う意見があったっていいし、いや!むしろ意見はたくさんなければ嘘だと思うんです。
子供が、酒井式は、あくまで描き方の方式の一つだ、と理解できるぐらい優秀なら問題はないですけども。」
「技巧に走ってはいけない。一番大切なのは、山崎さんがブログに貼り付けるような画像を見て、素直に美しいと思う各人の様々な心。
それこそが、芸術の根本だと強く私は信じています。」
以前「酒井式」によって描かされた我が子のことでコメントさせていただきましたが、その後どうしてもモヤモヤしてたので、担任の先生にyumemasaさんの記事の一部をプリントアウトして、「子どもの表現とは~」と助言してしまいました。
どこまで分かって頂けたかは?ですが、何もせずにはいられなかったのです。
うちの人(小学校教諭・酒井式を実践経験有り)とも話しましたが、未だ平行線のままです・・・とほほ。
身内が小学校教諭なので言わせていただくと、小学校の先生は美術の勉強は、専攻をした人以外はほとんど皆無です。なので、どう指導したらいいのかほんとに分からないみたいです(技術的な部分)。そこに一筋の光が「酒井式」なのだと思います。
それと、「上手い絵」という概念が固まっていること。見る側の啓蒙が必要とどなたかも言ってましたが、正しくそれが必要な気がします。
そして、「酒井式」セミナーのような、「場」があればいいと思うのです。先に書いた様に、技術を教えてもらえることが無かった訳ですから、基本的な技術を教えてくれる場があるといいんじゃないかと思います。そういう場を美術専任の先生が率先して提供してくてるといいなぁと思うのですが、どうでしょう。
もう実践してる方・所があったら教えてください。



そのことについては、以前の記事に書いています。
酒井式がなぜダメなのかは、申し訳ありませんが、私の関連記事をお読み下さい。簡単に言うならば表現でありながら、教師のあらかじめできあがったイメージに向けて指示されて描かされている限り、その子の表現とは言えないでしょう。
しかし、図工はわからないと言ってすぐに酒井式をしているわけではないはずです。このブログでも紹介しているHPなどでも、子どもの表現を大事にされた実践が多数発表されています。できれば、美術教育のリンク集をご覧下さい.
でも、子どの表現ってもう一度なんだろうと、本質を考えていただけませんか。
MakoTさんが、教師なのか、そうでないのか、あるいは酒井式をされているのか、されていないのか、それもわかりません。ですから適切なコメントができなくて戸惑っています。
shiho-chさんと、あなたのお考えは違うと思います。shiho-chさんは、酒井式によって「描かされた」と言っておりますし、私の書いた記事を担任の先生にまで手渡しているわけですから。
ところで、安直な代案はないです。少なくとも酒井式のように簡単にできるものは。
それに、何か○○式は、その人が絶対!みたいで、教祖っぽくてあんまり好きじゃないなあと思います。ただ、良いところは盗みたいですね。
大学生の時なんですけど、図工の教科指導を勉強しようとしても、書店には酒井式と小六教育技術ぐらいしか売っていないんですね~。まあ、売れているんだから仕方ないけど。
というわけで、うちは大学の書籍部で大橋先生の本を買って勉強しました。やっぱり書店にだしていくことも大学人や現場の先生の仕事かもしれません。
最後に指摘されたことについては、お手数ですが次の記事をお読み下さい。http://homepage.mac.com/yamazakimasaaki/kanngae/Personal93.html ただ自分の本業は教師ですから限界があります。
なお、具体的な研修会を開催されているところもあります。ただそれは私がネット上で得た情報ですから、他にも多数されているかもしれません。札幌ではやっています。いました?(図工美術専門の方だけを対象にしたものではありません。)最近参加していないので、今はわかりませんが。他のところでもやっています。日本各地の教委研究所やセンターあるいは教育委員会などを調べてわかっていますが、うかつにも控えていませんでした。まずはお住まいの地域で検索されてみるとよいかと思います。
そうですね。一つの考え方だけを盲信してしますのは、こわいことです。よいところを学ぶという考え方を学ぶというスタンスも大事だと思います。私もTOSSで接点を探しているのですが…。
美術教育誌はけっこうあるのですが、対象となる教師が少ないので、厳しい状況でしょう。しかも出版となると売れなければ困りますから。
今はインターネットを活用するということになりますか。
私が言いにくいことでした。ありがとうございます。
ここで描かれている「絵は心の窓」ってことや 「絵を聴く」っていう寺内定夫さんの姿勢、地元、渡辺貞之先生のやってることがすとんと落ちる私です。
空知美術教育研究会は30代のメンバーが中心に、渡辺貞之氏をはじめとした恐ろしい?OBと毎年「全空知子どもの作品を語る会」をやってます。一学級分の作品を持ってきて、ござに座って話します。昨年は野上真智子監督の「トントンギコギコ図工の時間」を上映しました。実践実技講座では渡辺先生の「めちゃくそ板画」なんてのもありました。こういうツールで宣伝が必要なんですよね。

どこからでもこい!という潔さを感じます。私にはそこまでの勇気はまだありません。読者の一人こと、cobatackでした(笑)
率直な感想、いいですね。いい方が私より大人だなあ。Trackback,ありがとう。そして誕生日おめでとう!
酒井式をやってみて、やめた人が同じようなこと言っていました。指示して描かせることに違和感を持ったと。実は私も教師になったころは「いい絵を描かせるぞ!」と力んで、それこそ、技法指導をいっぱいしました。(その時の生徒達は申し訳ない!多分若い頃だったから私のムードでついてきてくれたのだと思うけれど…)http://homepage.mac.com/yamazakimasaaki/sketch/Personal43.html
ところで空知の絵を語る会には私も参加したことが、あります。お泊まりまでしてしまいました。楽しいですね。勉強にもなります。
うーん、ブログで宣伝かあ。それ、いいですね。
実はブログをはじめたとき覚悟はしていました。でも生徒がインターネットを使用する指導にはまあ、これもよい経験かなと思いました。まだブログのマナーが私自身わかっていないので、参考になりました。
yumemasaさんの一生懸命が沢山詰まっていました(教員暦が長い方に失礼ですね)。
私は教員養成課程(美術)を卒業しただけで教育の現場にはいない者ですので、現場にいる方の情報量にはとても及びません。しかも住んでる所は東北は宮城なので、どのぐらい部会が盛んに行われてるのかも分かりません(北海道は割りと盛んなのでしょうか)。
でも自分の子どもが学校に関わっている以上、教育には無関心ではいられないと思うのです。しかもパートナーが教員となれば尚のこと。
きょうぼけみさんのように、私のパートナーもいつか気づいてくれたらいいのになぁと思います。
仮にも美術を専攻した妻を持ってるのですから(笑)。
shihoさんとききょうぼけみさんがつながったらいいだろうななんて思っていたのでうれしいです。ききょぼけみさんが指導された子どもの作品を見せていただきましたが、作品を通していろいろな子どもの思いを伝えてくれました。受けとめる感性が鋭い方です。その絵からこどもの存在が感じられるのです。あと、私は何人かの図工の先生の授業をサポートしてきましたが、実は技術的なことは、いいから、子どもが本気で描きたくなる題材を工夫してみるようにすすめました。実はこの題材設定が鍵なのだと思っています。すごいですよ、子どもが本気で描こうとしたら。こちらが驚きます。サポートした先生の授業では「自分が一番輝いている時を版画にしよう」と言ったのです。大ヒット。ものすごく喜んでいたそうです。
1人の美術ファンとして言えることは、
「美、はすばらしい」
「つくりだすことはすばらしい」
「感じることはすばらしい」
ということのみです。
正解が出ないことこそが美術の、また表現の本質と思います。それゆえに現場の先生方が困惑し、わかりやすい「指導」に向かうのも理解はできますが・・・とてもやるせない気持ちになります。
図工の時間に教室に満ちる、白い画用紙のような「豊かな空白」が消えないように、無力ながらただお祈りしております。
今悲しいことが起こるかもしれません。私の予測違いであればいいのですが。やはり教科存続の危機はあちらこちらで言われています。小学校で図工の時間がさらに減り、中学校では好きな子だけやる選択教科になってしまうかもしれません。近くの台湾では、美術の独立した時間は消え去ったそうです。
このブログはその危機を広く知ってもらい、何とか美術を残すために何かできないかという動機ではじめたものです。ここ数年が勝負です。
このことを一人でも多くの方々に知っていただきたいのです。
コメントが励みになります。ありがとうございます
「僕は子供(人間)にとって、教育、とりわけ教師というものはとても大きな影響力があると思います。
場合によっては、その人の人生にも関わってくるとても大きな存在です。 その教師がわからないからといって、安楽にマニュアルみたいなものを求めるという姿勢はどうでしょうか。
その上、断定的、限定的な判断を教師が子供に強要するとしたらそれは大きな間違いです。
それは教師にかかわらず親が子供に対する態度も同様だと思います。
子供にかかわらず、人間には本人でさえ理解できないくらい無限の可能性を持っていると信じています。
その無限である可能性を教師や親が限定してしまうことは怖いことです。僕の子供も非常に絵を描くのが好きです。絵というよりも漫画ですが。これは自分も小さい頃にそうでしたからよくわかります。」