ロダン「カレーの市民」の鑑賞授業

今日1年生の彫刻の授業のアプローチとして鑑賞の授業をおこないました。

ロダン「カレーの市民」の鑑賞授業_b0068572_20451733.jpg 授業の最初に昨年1年生がつくった作品を見せました。
 生徒達には「ホンモノそっくりにつくることが最終目標なら手から型をとって石膏ながしこんだらバッチリ、どう?」ニコニコうなずいている生徒もいました。
 様々な彫刻の写真を見せた後、ロダンの作品へと移っていきました。
 その中で、ロダンのカレーの市民の習作である「手」を見せました。
この手の持ち主の気持ちなのかを想像してみようと問いかけました。
 すると「なんだか苦しいみたい」「緊張している」「今にも死にそう」「病気のよう」「とても悲しいのかな」「もがいているのかな」など、作品からただならぬ重苦しい空気を感じとったようです。
 そのあと、カレーの市民の作品、つまり全体像を紹介しました。カレーの市民の話はよくうけとめてくれます。教室の生徒をカレーの市民として例えて話すので。



最後に「ホンモノの作品ではなく、よく写真だけでこれだけのことを受けとめたよなあ、みんないい感覚してるなあ」と加えました。
 そして、「そのことをみんなに手だけ(しかも写真)で伝えてしまったロダンはすごいよなあ。時代も違うし、国も違うし。」

 表現とは何か、それを伝えたかったのでした。

やはり、鑑賞の授業をすると教室の空気が変わります。授業をする私にとっても喜びです。

 ただ、この授業では、スライドを使って大画面で見せたり、様々な角度からの写真を見せたりが、望ましいと思っています。私が実際に撮影して来たものの方が反応がよいです。人も一緒に写っていたりするので、大きさがわかりますし。
(今1年生は美術室が使えないのです。生徒数が多すぎて。暗幕があるのは美術室だけです。今回はビデオカメラとモニターを使いました。こうすると、「カレーの市民」の鑑賞では表情もよくわかります)

ロダン「カレーの市民」の鑑賞授業_b0068572_20533080.jpgこれまでは、「カレーの市民の手の習作」と「カテドラル」を比較鑑賞させていたのですが、今日のアプローチの方が、より深く作品を読みとったようです。この「部分を見せて全体を想像させる」という手法は「美術教育HOTひろば」の人見さんの『風神雷神図屏風』を味わう(2年生)をヒントにしたのでした。人見さんありがとう。

昨年のロダンの鑑賞授業(今年は前半にいろいろな彫刻を見せたため、ある部分では、昨年の方が、深いかもしれません。やはり、ねらいを欲張ると散漫になりがちです。)


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by yumemasa | 2005-01-31 20:31 | 鑑賞教育 | Comments(0)

「美術教育」や「自然」に関するブログ。人々がより幸せになるための美術教育について考え、行動します。北海道北広島市在住。中学校教諭32年、大学で幼児教育・初等教育担当8年。現在、時間講師。


by 山崎正明