小学校1年生「経験したことを描く」(寄稿)木村早苗さん
2013年 02月 05日
実は、子どもの絵を大人の価値観で無理矢理背伸びさせて描かせた事例がまだまだ多いと感じています。子どもが「描かされる」ということと子どもが「描く」ということでは意味が違います。そんなことを考えるとき、木村さんの報告は、子どもが「描く」ということについて考えさせてくれます。絵を子どもの側から考える。
(以下木村さんのお話)
1年生の国語の授業でスケッチブックに描いた絵です。
経験した事を作文に書く教材です。
言葉で表現する前にその出来事を絵に表しました。
1 一輪車の練習をしたよ【距離を描く】
いつもは、人物はもっと大きくかくタイプの子です。「この絵について教えて」ときくと、こう話し始めました。

「あのね。こここからここまで乗る事ができたの。(スケッチブックの上から下まで示しました。)お父さんと弟と一緒に一輪車の練習をしたの。アスファルトの地面だったからつるつるすべって乗りやすかったの。(地面にアスファルトのひび割れがあります。)てんとう虫がいたから草むらに連れて行ってあげたの。草が生えてて不思議だなと思ったの」「どうして不思議だと思ったの?」と聞くと、隣で聞いていた男の子が「固い地面に生えているのが不思議だったんだよね。」(子どもは同じ思いを共有しているのでしょう)また、続けます。「(画面の左側を指差しながら)ここは草がふわふわしていて気持ちよかったから、弟と一緒に鬼ごっこをしたの」この子が描いた風景は、この子が経験し、この子が感じた風景だったのです。誰にも同じ客観的な風景なんて存在しません。「子どもは経験した事を描く」
この子が一番表したかったのは、一輪車で乗る事のできた距離だったのです。描きたい距離によって人物の大きさが決められていたのです。
2 お正月におばあちゃんちにいったよ【空間を描く】
おばあちゃんの家で、生活した空間が描かれています。

トイレにはどうやっていくのか、隣の部屋にはどうやっていくのか、スリッパはどこにどう並んでいたのか、そんな自分の動きの中で経験した空間を一生懸命描こうとしています。私はここに遠近感の芽生えを感じるのです。
3 新体操カーニバル【感情を描く】
衣装もリボンの色も髪もきっと正確です。観客席にはお客さんは一人もいません。

いなかったのではなく、演技をしているこの子には見えなかったのではないでしょうか。でもいすは赤く迫ってきます。音楽だけの聞こえる会場の中で、赤くて静かな観客席はこの子の緊張感の現れのように思えます。床は適当な点ではありません。まるで磁場のようです。床は自分たちの演技にとってとても重要なものなのでしょう。
4 ロケット発射【見えないものを描く 科学的な思考】
科学館でみたのでしょうか。ロケットの発射の様子です。発射まえの「3、2、1」の言葉が添えられます。印象的だったのでしょう。

途中でこの子が聞きにきました「見えないものも描いていいですか?」この子は、目には見えない電波を描いていました。目に見えないものの存在を確かめる事。科学ってそんなところから始まるのでは?と私の頭をよぎります。
5、6、7、8
2年生の時に、この子が日常的に描いていたスケッチブックの作品です。




物語と科学が融合しています。この子も同じテーマを追究していました。国語も理科も図画工作も、子どもの中では一体です。
(山崎感想)
この報告の中の「一輪車の練習をしたよ」というときの木村さんと子どものやりとり、こういうことが大事なんだよなあとつくづく思います。この絵は子どもの「あのね」。「大きくのびのび描きましょう」なんて言われていたら、このような絵は生まれてきません。
「お正月におばあちゃんちにいったよ」と「新体操カーニバル」は、木村先生が絵を喜んで見てくれるのがわかっているからこそ描いたのだと思います。くわしく描いて「伝えたい」。
そして「ロケット発射」、これは木村さんが喜んで、かつ関心して絵を見てくれるから、どんどん描いてしまう、そういう感じではないかなと思います。山崎も低学年の頃、「空飛ぶ円盤」とか「機関車」とか「戦車」とかたくさん描いていました。その絵を叔父がすごく楽しんで見てくれたのを思い出しました。大好きだった叔父は、もう他界しました、今思わず涙が出てきました。
絵を描くことを通して「共感」されていたのです。もちろん絵を描くのも好きになりました。
ちなみに下の解説は私が取り組んでいる「街かど美術館」で会場に掲載しているもの。

そんなつもりで見てみると…




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