久保貞次郎の言葉 |
名言選は山口喜雄教授の提案のもと宇都宮大学美術教育専攻4年の吉澤友希さん細田すみれさんがセレクトされたものです。(感謝)

まず第一に重要なことは、児童美術教育の目的は、画家や彫刻家や、工芸家をつくることにあるのではない、ということである。美術教育の結果、美術家が生長してゆくことは少しも妨げる必要はないが、彼等をつくりだすことが、直接の目的ではないことは明らかにしておかなければならない。(中略)
人間の教育はこの動的な創造的衝動を励まし、子供の個性的人格を充分にのびさせることにその原則をおかねばならぬ。そして美術教育もまたその役目の重要な一部分を占めるものである。即ち子供が美術を生産し、子供の生まれつきの創造力を発揮し、健全な大人へと到着する。その過程に子供は美術的な理解を身につけることができる。
そして美術教育は、子供の感情を豊かにする。感情教育の重要さは、人類の教育が少しも注意をはらわなかったものの一つである。(中略)
いまや美術教育はこの人間生活の中核たる感情の教育に重要な役割をはたすべきである。創作は子どもの感情の自由な表現であるべきだ。子供は自由であれば、自分の感情をいつわらずに創造するもののなかにあらわす。こうして子供の感情を豊かにみのらせるであろう。
さらに児童美術が子供の精神衛生のためにも用いられる点も重要である。
子供の制作する美術は、その子供の精神状態を、直接に、間接に物語る。したがって児童美術は単にテストに用いられるばかりでなく、精神治療にも役立つ。(中略)近代的な新しい美術教育にそった行き方である。しかし形式的な手の訓練や目の訓練を主張する美術教育が横行しているところでは、この児童美術が精神衛生に欠くべからず、重要なものだと聞くことは、足もとに鳥が飛び立つような驚きを人々に与えるかもしれない。

創造美育運動のおこりは、1938 年(昭和 13 年)春、栃木県真岡町小学校で、新講堂の落成を祝っておこなわれた公開審査がそうである。審査員には関係の学校の教師を 1 人も加えない。下審査からすべて、その審査会がやる。審査当日は、傍聴者をたくさん集め、審査員の発言に対して、反対・賛成の演説をすることを歓迎する。(中略)これをある年には春秋 2 回、ある年には1回、5 ヶ月にわたり 7 回、昭和 17 年まで続けた。(中略)創造美育協会がつくられたのは、1952 年(昭和 27 年)の 5 月だった。第 1回の全国セミナールは、その年の 8 月、茨城県の土浦小学校で開かれた。そしてプログラムは、講演また講演。さっそく提案して部会別の討議に日程を変えた。(中略)
第 2 回の全国セミナールは(昭和 28 年 8 月)は、軽井沢でやった。これには協会の会員の参加者には、だれでも 1,200 円のスカラーシップを与えるという特典がついていた。そのころ協会の 1 年の会費は 200 円であった。(中略)
第 3 回全国セミナール(昭和 29 年 8 月)は、高野山にセミナール開会の 4 日前に 40人以上が集まった。(中略)このセミナールは、500 人ほど集まり、50万円の経費を要した。前回採用したスカラーシップには参加者が増えてもう出すどころの騒ぎではなくなった。
第 4 回セミナール(昭和 30年 8 月)は、開催地を長野県湯田中と決定した。
(中略)参加者 1,400 人の半数は創美セミナーに初めての人々だった。彼らは、手に手にノートをもち、講師の話を筆記したがり、自分の発言は尻込みした。半数は、機会あるごとに歌をうたいたがり、熱心に握手してまわり、部会では先に立って喋り、討論に参加し、夜遅くまで、児童画を前にして、何事かを語りたがった。それぞれ自分の学校や国に帰った参加者の何割かは、創造美育は軽薄で、理論を尊ばないと非難していた。他の何割かは、面白いところだ、来年はもっと大勢の仲間を連れていこうと、いまから友達を説き、研究会を開き始めた。

日本の子どもの絵は器用である。これは世界に誇るべきことだ、といったような漠然たる考えを抱いて、わたくしは 1938 年、アメリカ、ヨーロッパへ児童画の旅にのぼった。アメリカ、シカゴの美術館の付属土曜児童美術学校の自由な、充実した組織を見てとても羨ましかった。ニューヨークの市立小学校で、アメリカの児童画が一般に繊細感覚をもたない、と批評したとき、そこの PTA 委員の婦人は「しかし描こうとする精神は強烈だし、全体をよく把握している」と熱心に答えた。ロンドンの図画の代表的中学校で、少年諸君が、大胆不敵なしかも自信にみちみちた作品をたくさん描いているのを見て、この国の実力に舌を巻かずにはいられなかった。フランスで交換した児童画は、人なつっこい眼でこちらを盗み見するパリの子どもたちの表情と少しも変わらなぬ洒落た雰囲気をたたえていた。こうして、わたくしは米欧 17ヵ国、3000 点の児童画を集めた。欧米の児童画はどうしてこんなにわたくしたちの心を打つのか。彼らの絵は共通して羨ましいほどの自信を表現している。独自の精神に溢れている。それでいて軽快なものを失わない。描かれたものは、一筆、一刷ゆるがせにしていない。絵を愛して描いている。したがって色も綺麗で、水彩などは透き通っている。淡彩で弱々しいかといえば、非常にしっかりした力に漲(みなぎ)っている。
では日本のは?なるほど一見したところでは器用で、色もコテコテ塗られて力があるようだ。しかし、我が国の児童たちの絵は、淋しい、弱々しい、のびのびしない、あるいは乱暴、投げやり、不徹底、概念的、形式的無表情である。山や川、人を描きながら難しい点に逢着(ほうちやく)すると、それを解決しようと闘わないで、避けてしまう。水彩など濁っている。こうした数々の傾向は、材料や図画の時間の不足を補うなどの末梢的方法では掬(すく)うことができない。
日本の児童が、西洋の児童画から学ぶべき根本態度は何か。それは「描こうとする精神」である。いったい描こうとする旺盛な意欲失くして、何が表現されるというのか。精神の籠らぬ独創を欠いた外形の描写の器用さなど、何こもの役に立つというのか。この、西洋と日本の子どもの絵の比較は、単に図画
の問題として切り離して考えられるだろうか。日本の芸術、あるいは教育の世界はこれに対して何と答えるだろうか。(『帝大新聞』1939 年 11 月)