シンポジウム【久保貞次郎と北川民次を語る】資料
2016年 01月 08日




70年前までの図画教育は子どもの思いの表現ではなく、教科書の手本をそっくりに写し描かせる「臨画」で眼と手の巧緻性を重視していました。その頃、1938(昭和13)年4月に栃木県の真岡では、地元の久保貞次郎(1909-96)らにより第1回児童画公開審査会が開かれて新しい図画教育の探究が始まりました。2ヶ月後に久保は、メキシコ・タスコから2年前に帰国した北川民治(1894-1989)と出会い、戦争で中止になる1942年第7回まで開催し続けました。
敗戦後の1952年5月に久保や北川ら21名は「児童の個性の伸長こそ新しい教育の目標だ」とする《創造美育協会宣言》を高らかに謳います。戦後民主主義を体現した精神や授業実践の創美運動への共感が全国に広がってマスコミの注目を集め、3年後の創造美育研究会には、1670名もの参加者で溢れました。その命脈は現代日本の美術教育に受け継がれています。
1947(昭和22)年の学習指導要領では小学校低学年の図画工作は週3時間〔年105単位時間〕、中学3年まで週2時間〔同70〕授業でした。現在は小学1~6学年は年68・70・60・60・50・50時間、中学は45・35・35です。最近、人文系や教員養成学部・学科の縮小・廃止が報じられ、子どもたちに豊かな感性を培うことが困難になることを美術教育関係者だけでなく、少なくない市民が危惧しています。久保・北川の二大巨星の考えや活動を大いに語り未来を展望します。
創美の草創期の精神に立ち返って、パネリストは従前の正面居並びの専門的発言でなく、参加者席で周囲の参加者と語り合って、短時間にまとめて質問・感想・意見を語ります。
■問 合 せ
山口 喜雄 〒321-8505 栃木県宇都宮市峰350宇都宮大学教育学部














