上手だねー…その言葉、ちょっと待って! |
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この記事に刺激を受けて書いたのがこの記事です。


ここで気をつけたことは、「上手だねー」と言わないことでした。子どもは上手に描くために描いているのではないのです。しかし、この「上手だねー」は、けっこう使われています。
この頃はペンを使う行為を楽しんでいたり、描きながらの会話を楽しんでいるわけですから…。むしろ描く行為を通して対話する、つまり「表現」です。
子どもは上手に描く事を目的に描いているのではないということを幼児期の周囲の大人は気がつかないといけないと思うのです。
こんな言葉がけばかりされていれば、子どもは絵は上手に描くためのものだと思ってしまうような気がします。
年少の幼稚園児に「描けない」から大人が見本を与えるなんてことがよくありますが、このあたりのことを知っておけば、そんなことはしなくなると思うのですが。
私の娘は小学校低学年で素晴らしい国語教育をうけました。子どもが自由に作文を書いたものを担任の先生に提出していました。作文には感想が書き添えられてきます。しかし、文法的なあやまりを指摘(修正)しなかったのです。作文という表現の結果ではなく、その内容に共感してくれたいたのです。娘ははりきってたくさんの作文をかきました。作文は楽しい!そう思わせてくれました。
描いたりつくったりすることが、人間の成長にとても大切だと考えています。
そこで私がしたことは、「環境」をととのえることでした。
100円の「らくがきちょう」やフェルトペン、えんぴつなどをすぐに使えるようにしておきました。はさみやのりカラーの粘土なども小さなテーブルに置いておきました。それはちょうどが材売り場にいってわくわくする感覚と似ているかもしれません。中学生でも大きな机の上に様々な画材や道具を置いておくとすごく興味を示します。同じでしょうね。


上手って言ってしまいますね。
難しいです。作文の時などのコメントも、
この文がいいねって言えると良いなと思います。
どこの文がいいのか着眼点はどうすればいいのかなどなど。
言葉は難しい。

教えようとするんじゃなく、受け止めること。表現に関わる学習指導で一番大切なことです。あと、いつもいつも伝達しようなんて子どもは思っていませんから、遊びに夢中になっているような、行為を楽しんでいるような場合は、また少し違いますね。でも、お話を聞いてやることは大切なんですよ。

つい先頃お宅のお庭の桜が咲いたんですね。
日本列島は、南北に長いなと改めて実感しました。
それでも、今年は、こちらでも桜が遅くて、入学式まで桜が残ったんですよ。
さて、このたび、教科指導を別ログに移しましたので、そちらの方にもリンクさせていただきました。
また、このレビューと似たようなレビューを私も書いていたので、TBさせていただきますね。
子供は大人のような絵を描きたいと思っているわけではないでしょうね。
じゃあ、子供はどう思っているのか。
彼らを見てると、なにかが彼らに描かせている
という感じをもつことがあります。
しいていえば、彼らを包む雰囲気というか環境のようなものが
彼らに描かせているというような。
どんなふうにお感じでしょうか?
nagatakuさんは難しく考えすぎない方がいいかもしれないなあ。絵を通してこどものことを知り、楽しむ。これってすごい楽しいし,おもしろいですから。
私の家の近くにある大地太陽幼稚園の子どもの絵を見ていてももうわくわくします。では幼稚園児の絵ならみんなわくわくするかというと、そうではないです。子どもの表現は未熟なものとしてとらえている幼稚園では、子どもの絵を台無しにしてしまっています。あの時期だからこそ描ける輝けるような絵を描かなくなってしまいます。
artshoreさん鋭いですね。さすがです。大地太陽幼稚園で,何を大事にしてるか、それは環境なんです(ここでの環境は人間も含みます)。だから子どもの思いや絵をかく行為そのものを楽しいでいるうれしさが伝わってくるんです。
お母さんは木のおもちゃつくっているし、いい環境だなあ。