「子どもの発達と遊び」
2005年 05月 27日
過去の研究ではあるし、アメリカの子ども達であるし、当然環境も大きく違いますが…。しかし参考になることも多数あると考えています。

「子 ど も の 発 達 と 遊 び 」
著 REハートレイ・ LKフランク・ RMゴールデンソン
訳 上田 礼子 岩崎学術出版 1978
(抜粋・再構成 山崎 正明)
はしがき
「この本は次のように役立てられられるように希望する。
(1)養育、遊戯、小学校教師、幼稚園教諭の教育に役立つこと、
(2)校長や先生たちが子どもの健康なパーソナリティを育てるために、おもちゃ、ゲーム、創造的用具、遊戯活動の充分な可能性を発展させること、
(3)両親が子ども達の為に適切な遊戯用具を与えることに興味を持ち、その助けになること、特にハンディキャップや慢性疾患のある子ども達は、そのようなことがなければ、情緒的表現や成熟にとって必要な遊戯経験をうばわれてしまうかもしれない。
この本の実際的用い方は、遊戯用具と表現活動のより広い、より自由な使用法と同時に、幼い子供たちのためにそれらの価値をさらに研究されるようになるに違いない。」
「子ども個人に対する基本的関心を発達させることによって、大人は自分たちのパターンや考えを押しつけることを止めて、そのかわりに、子どもの考えや目的を“引き出す”であろう。子どもの行為は必ずしも大人の側にある意図とか動機の表現と同じではない。大人の習慣的な評価は子どもの目的や感情を完全に誤って解釈することもある。
幼い子どもを世話するもののすべてが、必然的に次のようなことを認めるようになる。すなわち、遊戯活動において子どもは自己表現に従事するばかりではなく、最も意味ある自己発見にも従事するー感動、運動、関係を探索し実験するのであるが、それらを通してからは自分自身を知るようになり、外界についての自分自身の概念を形成するようになる。子どもが自分の経験を組織し、人や人物、事柄を大人にとってなじみ深いカテゴリーや概念に合わせるようになるには長い時間を必要とする。その手探りの努力は、あまりにも大きな抵抗のある世界に住む子どもをしばしば欲求不満にする。しかし、遊戯では子どもがおもちゃや道具の、自分より小さな世界を操作し、組織し、急に変化させ、再構成することができる。もし、彼自身の方法で試みる時間、道具、などの機会が与えられるなら、からは自分自身を発見し、道に迷っても足場を回復し、そしてしだいに、いかにして他の人達といっしょに、大きな複雑な世の中でうまくやっていくかを学ぶのである。」(P6、7)
第1章 子どもの発達と遊びの機能
「この本の企画は、保育園や幼稚園の集団で子ども達を理解し、その子ども達に、自分自身を発見し表現する機会を与えるための、遊び道具や表現活動の可能性を探る目的で立てられた。研究の方法は、遊んでいる子ども達を、毎日徹底的に記録することによって行われた(付録参照)。子ども達は、普通、ごくありきたりの用具を使っていたが、ときどき、実験の方向に参加していった。この企画の目的は、教育的実践をとおして健全な人格を育てることにあったので、研究のあらゆる技法や方法は、学校で現在行われている課程表に合わせた。特に強調するところを除いては、子どもの遊びや創造的な活動に参加する条件を統制する企ては行なわれなかった。」
「この研究は、創造的活動や表現活動と同様に、遊びがいかに子どもの衝動や感情、空想を行為に移させるか、すなわち子ども自身の問題を演ずることを可能にするかということに焦点をあてた。そして、そのような活動が、どれだけ子どもの人格の発達の鋭敏な指標として役立つかということに焦点をあてた。」(P1)
「幼稚園や小学校低学年での創造的活動や遊戯の機会の重要性が、人間発達の多くの領域の専門家によって、ますます認められてきている。現在、個人の性格構造の発達や、外界への期待の形成、他の人々との接近方法の形成において、発達初期の果たす役割はより広く認められてきている。この年齢に子どもが非常に柔軟であるということ、環境の衝撃にすぐ反応するということ、比較的分化していないということ、そして、好都合な経験から利益を得て、それを、成長しつつある自我概念に同化する必然的なレディネスの状態にあることなどは、おそらく、それほど強調されてはいない。」(P2)
「この計画の2年間の間、180人の子ども達が、40の異なる保育園の集団で観察された。彼らはいろいろな国や文化の背景を持つ家族からきており、年齢は2歳から6歳の範囲にわたっていたが、その多くのものは3〜5歳の範囲に集中していた。これらの観察を集めるために、98人の観察者がやとわれたが、彼らのほとんどはボランティアであった。これらの観察者には、すべて最初に指導が行われ、その中に観察をし、経過を追って日誌をつける形式で記録する特別な指示が含まれていた。」(P14)
第2章 ごっこ遊び:子どもを反映する鏡
「ごっこ遊びの標本がなんであれ、それがある特定の子どもにもっている特別な意味に私たちが機敏であろうとするなら、それがいつ、どんなふうに起こるのか、その情緒の質、そして、それは誰を巻き込んでいるのかを観察しなければならない。そして私達は、これらの観察を彼の背景や関係についての私達の知識に関係づけなければならない。この理解しようとする努力は、教師にも子どもにも報いがあることがわかるであろう。」(P65)
第3章 ごっこ遊び:成長の手段
「結論として、学齢前や幼稚園の子ども達のグループでの自発的なごっこ遊びは、治療のために診療室で行う遊びと同じくらいに、成長への手段となりうるようである。教師だけが、この建設的な力への鍵を握っている。」(P124)
第4章 積木のある場所
(この本でいう積み木はかなり大きな物である。例えば、積んだ積み木で、自分の回りに囲いを作ることができるくらいの大きさを持っている。山崎、注)
「教師はしばしば攻撃的な行動について心配するが、しかし、積木は、人に向ってミサイルとして使わないということをはっきりすることによって、管理可能な制限以内での攻撃的活動をすることは可能であろうとわれわれは考える。破壊的衝動によって子どもの罪悪感を生じさせるのではなく、教師は投げた物を受けるしっかりした壁板の一部を、“投げる場所”として設定することによって、彼らに大きな貢献をするのかもしれない。」(P183)「積木は、非常にいろいろな価値を提供する。“冒険や危険”の欲求、“形のない爆発”への欲求を満足させるために使われるし、敵意の代用物として、安全性と受動性のために、個人的社会的コンタクトを求めて、また、空想の表現と現実の探索の欲求を満たすために使われる。」(P184)
第5章 水遊びの利点
「ここで使用する水遊びという言葉は水の自由な使用と妨げられない使用をさしており、子どもはいろいろな物を浸したり、水を注いだり、あわをふいたり、単にはじいたり、それをかきまわして動きを作ることをさしている。大きな金物の水槽はこれらの目的によくかなっているが、しかし洗いボールとか小さな水槽もまた使われるであろう。」(P189)
「子ども達は自分自身の考えや欲求に従って遊びを発展できるように、できるだけ自由な雰囲気を保つことが望ましい。もし制限が必要なら、混乱をさけるために最初に決めるべきである。しかしながら、これらの制限には熟慮が必要である。」(P189)
「水遊びは楽しさを与えるだけでなく、攻撃的な衝動が解放される魅力的な道を提供する。」
(P202)
「洗うことやぬらすことを含むあらゆる活動が水遊びの出発点である。しかし水遊びの自発的な発展を予知して、それが続くような、より広い、より複雑な活動を準備してやることが必要である。また、先生の目的がすなわち子どもの目的ではないかもしれないということを知っておくことは、教師にとって大切である。」 (P215)
「要約すると、水遊びは多くの価値を持っており、学齢前期や幼稚園の教科の多くの目的のために使用することができる。知覚や情緒の発達にとって、フィンガー・ペイントを除く他のどんな素材よりも、さまざまな経験と著しい喜びを与える。知的発達にとって、実験と探索に大きな柔軟性と広い機会を与える。抑圧された子どもに刺激を与え、爆発的な子どもを和らげる。気が散りやすく、混乱した子供達は長い時間それに集中していられる。自分自身に確信のないこれらの幼児は,やり遂げたいという感じを獲得して原始的な形では許されない情緒のはけぐちをそこに見出だす。グループの状況で、トラブルをもつ多くの子ども達は、水遊びを通して調整を始める。緊張し、臆病で、引っ込み思案の抑圧された子ども達は、媒体として水を受け入れ、また水を使ってもっと自由になることによって、全体的にくつろぎ、自然な成長を示す。」(P224)
第6章 粘土は子どもにどんな役目を果たしているか
「保育園の先生にとって、粘土はいろいろな物が作られる素材であり、手の器用さ、言語の巧みさを伸ばすことを目的とする教育計画の中でぴったりの素材である。
臨床家にとって粘土は、投影的手段として大変有用なものである。何故なら、自分の問題を言葉で表現できない幼い子ども達が、その内的問題を伝える手段となるものだからである。この章の目標の一つは、これら粘土の機能の間に接合点を見出だす事である。この粘土の持つ機能は、どちらも就学前期の子ども達にとって大変大切なものなのだからである。」(P227)
「粘土いじりにおいて、原始的な満足から始まって、偶然何かを作り、次に何かを作ってやろうという目的を持って活動するようになる過程は、いくつかの記録に認められる。」(P243)
「粘土は、罪の意識の伴わない破壊と、満足して構成すると言う、これらの両方を満たす他にまさるもののない媒体を提供するのである」(P247)「粘土はいろいろな年齢段階の子ども達にとって、その攻撃的衝動のはけぐちを提供する。幼い子ども達は、初歩的に粘土をこねたり、たたいたりする活動から満足を得るし、もっとおおきい子ども達は、粘土活動を筋を持った話しの空想に統合できる。」(P248)
「抑圧された子どもにとって、グループでの粘土作業は自分の遊び仲間について学ぶ機会を与えてくれるし、また、彼らに対して親しい気持ちを感じさせてくれる機会もまた、与えてくれるが、そのときに彼がまだうまく処理できない直接的な社会的衝撃に反応することを必ずしも必要としない。」(P260)
「子供達を真に前進させるために、粘土いじりを長時間妨げられないで続けることも必要である。」(P266)
「先生が、粘土の時間をただ単に、子ども達がいたずらをしないようにしておくための作業時間であるとは考えないで、それにたずさわっているひとりひとりの子どもにとって、独自の意味を持っている探索、表現、自己主張のための、正当な水路であると認めるならば、これは特別意味のある機会にすることができるとわれわれは確信するのである。」(P266)
第7章 描画素材の使用
「絵画は、ときどき敵意の衝動のはけぐちとなる。これは抑圧された子どもや、明らかに攻撃的な子ども達の両方に対してあてはまる。」(P294)
「記憶にとどめるべき最も重要なことは、少なくとも4歳以下の子ども達は、一般に絵を描くことを試みないということである。むしろ彼らは、紙に絵の具をぬることに関心を持っているのであって、彼らに何を作っているのかを聞くのは不適切である。」
(山崎注:何を作っているのかを聞くのは無意味であるが、その意味付けした事への大人のうなづき、寄り添う感覚は大事にしたい。なお、ここで一般に4歳以下の子どもというのは、もっと低年齢であるかもしれない。どちらにせよこのあたりは環境の影響によるところも大きいはず。またここでは絵の具での観察結果であると思われるが、フェルトペンや鉛筆等の描画材料では、もっと低年齢で絵の意識が芽生えるという結論になったと私は推測している。)
「第二に、絵画は、子どもが体験している、ある情緒的経験を表現する唯一の手段であるかもしれないことを、心に銘記することが重要である。それ故に、子ども達が望むときは、いつでも描くことができるように条件を整えておくことが賢明である。」(P325)
(山崎注:現在日本の幼稚園要領ではこの「環境」が大事にされている。)
「時に、先生は子ども達に描く物や描きかたを言ったり、紙の上の空白部分をうめるように、示唆さえしているのをわれわれは見ている。この種の指示は、絵画を子どもから遠ざける。ときどき子ども達はそのような“助言”を彼ら自身の信頼への欠如として解釈する。」
(山崎注:このような助言を「信頼の欠如」とまで述べている。しかも助言ではなく、指示である)
「大人を喜ばせるために描くことより、それを楽しむために描くことのほうが、どんな子どもにもはるかに良いことなのである。」(P329)
第8章 指絵(フィンガーペインティング)の経験
「事実、指絵への反応は絵の具をさわる喜びに始まって、色を無差別に混ぜたり、塗り付けたりといった楽しみに進み、次に模様をいろいろと描いてみることへいき、最終的には、この素材から引き出される形と色両方の可能性を探索してみる、ということに進むという一般的経過をたどると予測できる事が記録のいくつかに表われていた。」(P363)
「しかし子ども達は新しい紙を要求したり、その活動をやめたいとい時はいつでもそうできるよう自由であらねばならない。」
「指絵が普通にある制限をなくして与えられるなら、子どもは探索の新しい世界を与えられ、自己表現のためばかりではなく、自己発見のための独自な機会も与えられるということになろう。その結果、子供はより自由なより豊かな人となるだろうと信じる。」(P364)
第9章 音楽と運動:その効果ある結合
「われわれは、音楽と動きが苦しい自意識から子ども達を解放し、仲間にもっとよく親しくさせるようにさせ、エネルギーの発散と動きの統合への道を与えることによって子ども達に寄与しうるということを話してきた。音楽がさまざまな困難に悩む子ども達に対して、特別な価値を持つ証拠として多くの記録をあげてきた。」(P410)
付録
「次に掲げる観察者への助言と記録の仕方は、この本の基礎となっているプロジェクトに参加した観察者を教育するために使用されたものである。」
「できるだけ目立たない場所にいるようにしなさい。良い観察者は控え目であり、教師も子ども達も観察者がそこにいるのを忘れるようにすることである。」(P411)
あとがきにかえて(訳者 上田礼子)
「すなわち、子どもの発達と遊びとの関係を真正面からとりあげ、発達するにつれて子どもの遊びはどのようにダイナミックに変化していくかということを、いろいろな遊戯用具の種類別に述べていることである。積木、ごっこ遊び、粘土、水遊びなどの如く遊戯用具によって一応分類しながら、それらの用具を子供たちがどのようにとり扱っているのか、遊びに見られる行動が子供の自我発達にとってどのような意味をもつかということを観察事例を通して示している。そして、より低い段階からより高い段階へ移行する遊びの行動と共に、行動が発生する場面にも注目しており、その場面に関与している保育者、教師の役割にもふれている。つまり、遊ぶことによって子どもは成長・発達していくが、その意味を大人が認めてうまく援助できた例や、失敗している例が具体的事例を通して述べられているのである」(P432)














