今年度から、また新しい中学校で講師をしています。鑑賞の授業で興味深いことが起きました。
2年生で風神雷神図屏風を鑑賞したときのことです。彼らは1年生の時に、すでに鑑賞の時間でこの風神雷神図屏風について調べ学習をしていましたので、2年生では、軽く扱い、他の作品の鑑賞を予定していました。(ただし、昨年は教科書の図版、今回は実物大のレプリカという違いがあります。)
いざ鑑賞を始めると、ものすごく盛り上がり、鑑賞は35分続きました。
私の予想では、生徒たちは一年生の時に調べた時の知識を披露するような発言が少なからずあると考えてました。しかし、実際に発言している時の内容や表情から、新鮮で自分なりの視点で鑑賞していることが、伝わってきました。

生徒の振り返りも一部紹介します。
「調べてみた時とはまた違う見え方がしてよかった。他の美術作品も様々な角度で見てみたい。」「近くで見たら迫力があって調べた時とはまた違う発見があった。」「実際に鑑賞して、また違う意見があってびっくりしました。」「尾形光琳や酒井抱一の作品を見たらまた変わって見えて、世界、価値観が変わるかもしれないと思った。また同じような意見でもそれを深掘りすると意見が少し変わるので、深く鑑賞する事は必須だと思いました。」「みんなの意見を聞いたりして、他の人の話を聞くことによって深く考え直したり、近くの人と同意見、新たな意見を聞くのが楽しかった。調べ学習では知られなかったことについて気づくことができた。」などです。
「知ること」と「感じること」は違いますが、これらが、統合されて、新たな意味や価値が生まれるようにすると鑑賞は、より一層面白くなるでしょう。ただし、まずは自分の目と心で味わってみてから。料理もまずは味わってみてからですしね。味に興味を持てば、材料は?調理法は?などとなっていくわけです。
なお、「対話による鑑賞」においては、対話が生まれやすく、生徒が興味や関心を持てるような作品の選定が重要です。それから、実際の鑑賞にあたっては、いきなり対話をはじめないことです。まずは一人一人がじっくり見る時間を保証することです。自己内対話、つまり自分でしっかり味わってからです。私は1分程度は黙ってみる時間を作ってから対話をはじめています。
さて、鑑賞後私は、次のような言葉を添えました。
「この作者や作品についての批評や解説などを調べてみると、また新たな見方ができて、より面白いですよ。でも、書かれていたことがすべて正解というわけではありませんし、あくまで書いた人の考え方ですから。」
(調べた内容は、もう一つの生徒の意見のようにとらえるという考え方です。生涯にわたって鑑賞を楽しみ続けるためにも、解説がなくても鑑賞を存分に楽しめる人になってほしいです。)
「対話による鑑賞」では、とにかく、仲間と鑑賞そのものの面白さを実感できる時間をつくることが大切です。教室において安心安全とか支持的風土の大切さ(注)が言われていますが、そうしたものの醸成するためにも、この鑑賞の時間が果たす意味は大きいです。
そして、「鑑賞する」という行為の面白さを味わせたいものです。仲間と共に鑑賞することで、自分の見方や感じ方考え方が広がったり、深まったりしていく面白さです。
それは表現の授業にも生きてきます。
そして生涯にわたって美術を楽しむようになってもらう基盤をつくるための義務教育の美術です。その上でも「対話による鑑賞」の意義は大きいです。
(注)安心安全・支持的風土が前提になりますが、社会で生きていく上では、そうではありません。そのことも踏まえると、世の中には自分とは違う感じ方や考え方があり、それが面白いことだと実感できるようにすることが必要と考えます。
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