中学校3年生・彫刻「命の形」 |
生徒に授業中以下のような話をしました。
「出来上がった作品が二つあります。どちらも球です。他の人が見たら、その違いはわかりません。Aくんは、美術の時間に石を彫らなきゃならないから、球でも彫るか、彫ってみたらおもしろくていつのまにか、一生懸命に作業していた。
B君は命について考えに考え、球をイメージした。それで、毎時間、命の形をつくるために、心をこめて表現した。
結果としての作品は同じに見えるかもしれない、しかし、その行為の意味はまるで違う。この時間を自分にとって価値ある時間にしてほしい。」

子どもに表現意図を聞くと、なるほどと思うことがたくさんありました。今の時代だからこそ、このような題材が必要なのではないかと思っています。
美術部の生徒が、この作品を見て「やってみたい」といいました。テーマが「命」というのがいいのだそうです。この反応はうれしいものでした。私はてっきり石を彫ってみたいという思いが先だろうと思いましたから。
中学生にはホンモノをぶつけることが、大事なんだとこの授業を通してあらてめて思いました。
↑この作品は、この学年の生徒ものではありません。
反省があります。教師である私が抽象絵画での「学び」を、今回の「命の形」につなげることをさらに強く意識すれば、もっと造形美も意識しながら制作したのではないかと思います。
1年生の時の彫刻や2年生のマークでの学びをつなげていますが、まだ弱かったです。
それにしても、生徒は私が思っていた以上に「命」を意識していることが、わかりました。どの生徒も作品を非常にていねいに扱っていました。その姿がまた、とてもいいのです。親に見せたい姿です。
《関連記事》
☆自らの手で美しい形を生み出す姿(その2)
☆「命」をテーマにした授業をします
☆「命の形」の作品紹介(その1)
この「命の形」はそう考えると生徒がじっくり考えられたんだと思います。(私が言うにはおこがましいですが) 私もこういう取り組みが出来たらな…と、うらやましく思います(^^)
学校では元気(?)すぎる生徒が、家でどうしても続きをやりたいということで、完成させて職員室に来たのですが、とってもいい顔をしていました。うれしいですね。あと、足りないところは造形美を追求するところでしょうか。それと欲を言えば主題の掘り下げ。他題材との強い関連性をつくること。教師のつなげる力が問われている気がします。やっぱり題材設定の理由と題材提示は本当に大事だと痛感していますが、今回は完成時も大事にしてみました。勉強になりました。コメントうれしかったです。
穏やかな表情も、いい意味で消化されたんでしょうね。きっと「心に残る」作品になったんでしょうね。
今置かれている危機的状況にしても、「回避できた」となったあと、『よかったよかった』では決して終わらない。多くの方が回避に向け動き始めてくれていることはありがたく心強いですが、同時に回避後のことを考えておかなければならないのも事実ですよね。そのことも合わせて全国などで話される機会があることを期待したいです。(予算と時間が許されるなら自腹切ってでも行って話したいと思いますが ^^;)
全国はあくまで場所によりますよ、予算という大きな壁がありますから…(^^;) ただ、私自身、全国は何度か関わらせていただいているのでそれなりに『常連の方々』と顔見知りな分、中継点を増やせたらな…と思ってのことです。でも、こういう思いも山崎先生に刺激とパワーをいただいてのことですから、逆に感謝感謝なんです。
うーん、構想の方は北海道で展開したいのです。本当はこっちの話題のほうが、おもしろいし、創造的ですから、でもこの教科の危機は当事者意識がないといいけませんね。実はもしかしたら事態はそんなに深刻ではないかもしれない、いやもっと深刻かもしれない、それはわかりませんが、いつもいつも教科の危機が叫ばれていますから、これを機会に自分たちの日々の授業も襟を正しながら、よりよい方向に向かっていきたいです。酒井式の論議が美術教育の本質を考える機会となったように。今回のことを次のステップにしたいですね。