「命の形」がほぼ完成。あとは、台座に取り付け、展示。造形美などの指導はほとんどせず、思いだけで持ってきました。授業中は彫る、削るという行為が「作業」ではなく「表現」になるように強調してきましたが、優れた授業であれば、そのような声かけもほとんど不要だったかもしれません。一生懸命やっていましたが、やはりその一生懸命の内容が大事なのだと思います。
生徒に授業中以下のような話をしました。
「出来上がった作品が二つあります。どちらも球です。他の人が見たら、その違いはわかりません。」
A君は、美術の時間に石を彫らなきゃならないから、球でも彫るか、彫ってみたらおもしろくていつのまにか、一生懸命に作業していた。
B君は命について考えに考え、球をイメージした。それで、毎時間、命の形をつくるために、心をこめて表現した。
結果としての作品は同じに見えるかもしれない、しかし、その行為の意味はまるで違う。この時間を自分にとって価値ある時間にしてほしい。」
(もちろん題材設定ではB君の姿を目指しています。)
子どもに表現意図を聞くと、なるほどと思うことがたくさんありました。今の時代だからこそ、このような題材が必要なのではないかと思っています。
美術部の生徒が、この作品を見て「やってみたい」といいました。テーマが「命」というのがいいのだそうです。この反応はうれしいものでした。私はてっきり石を彫ってみたいという思いが先だろうと思いましたから。
中学生にはホンモノをぶつけることが、大事なんだとこの授業を通してあらてめて思いました。
なお、同じ抽象でもこの生徒達は以下のような授業をしています。この抽象は思いではなく、造形の美しさを追求する事がねらいました。
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動きのある美しい作品をつくろう ↑この作品は、この学年の生徒ものではありません。
反省があります。教師である私が抽象絵画での「学び」を、今回の「命の形」につなげることをさらに強く意識すれば、もっと造形美も意識しながら制作したのではないかと思います。
1年生の時の彫刻や2年生のマークでの学びをつなげていますが、まだ弱かったです。
(追記) 2021年10月8日
*この記事の最後の方で述べている「つなげることをさらに強く意識すれば、もっと造形美も意識しながら制作したのではないかと思います。」というのは、現在学習指導要領で述べれられている「造形的な視点」ということとほぼ同じ意味になります。この頃は、まだ題材と題材の学びを関連づけて指導することが、弱かったのです。
また 指導要領では「主題を生み出す」ということが大切にされていますが、A君は作業に近く、B君は主題を生み出しています。同じような題材であっても、指導観が違えばここまで違うわけです。なお、C君の例も考えられます。それは石を彫りながら、自分なりの主題が生まれてくるというものです。ただし、石の場合は、時間がかかります。安田観侃刻美術館アルテピアッツア美唄の「心を彫る授業」が、近いものです。しかし、この「
心を彫る授業」では不定形の石(イタリアの大理石や札幌軟石)を選ぶことから始まります。無心で石と対話しながら彫るという考え方です。非常に魅力的ですが義務教育の限られた美術の時間では難しいものがあります。
(追記)2021年11月9日
*これは篆刻の授業ではありません。念のため。篆刻の持つ部分をつくることとはまったく意味が違うことは、私の記事からもご理解いただけると思います。なお、篆刻の授業は、私は好ましいものとはとらえていませんし、やったこともありません。限られた美術の時間にもっとすべきこがあるからです。
この授業で金属用のこやクランプ、小刀も使用しています。彫刻刀よりはるかに、効率的です。
なお、現在、この授業をするかどうかというと、今なら素材の検討からやり直します。石膏のブロックや軟石あるいは木材などを使用するかもしれませんし、粘土も考えられます。たぶん、同じ授業で素材を生徒が選択する方法をとるでしょう。ただし、最終的には年間指導計画との関連で決定します。
(追記)2021年11月22日
*新たに以下をリンクしました。記事の中の親御さんの言葉も注目したいです。中学校3年生だからこそです。
(追記)2022 年1月19日
*「命の形」はアクセスが多い記事の一つです。しかし、気掛かりなことがあります。それは篆刻用の石を使っているので、篆刻の授業を推奨していると思われているかもしれない、ということです。私自身、「篆刻」の授業はしたことはありません。他にやるべきことがたくさんあるからです。
中学校3年生(義務教育9年間)の最後の授業で「篆刻」を題材として取り組んでいる学校も少なからずあります。これからの未来を生きる若者たちの取り組みとして、「卒業期の大事な時期、他にやるべきことはないのですか?」と聞きたいです。
篆刻は一度決まったデザインに向けて、あとはひたすら「作業」して完成する。その時間が長いのも特徴です。篆刻は、集中してやります。手順が決まっているので安心して取り組みます。卒業記念の意味も持たせられるでしょう。荒れた時代は、生徒が集中するというものとして話題になったこともあります。どんな題材であっても指導の工夫で価値を持たせられます。しかし、だからと言って広い広い美術の面白い世界から、わざわざピンポイントで「篆刻」をしなければならないのでしょうか?
Aiの時代、 Society5.0とも、言われる今。何が大切なのか、それを考える必要があるはずです。教師は未来をつくる仕事でもあります。
若い人に、それを国民の義務としてやらせる以上、そこも踏まえた題材設定であるべきでしょう。
「説明責任」という言葉はよく評定のことで使われますが、もっと本質的な部分「なぜこの題材の設定したのか」その説明責任こそ、できなければならないことです。
私は、卒業制作というものを強く勧めたいです。その中で見せる生徒の姿に、これからの未来をつくっていくであろう、若者の素晴らしを感じますから。
中3で「篆刻」の授業を熱心にされている先生に、同じ時期に他の学校では、生徒が自らの手で新たなものをこの世に生み出しいく創造的な時間を過ごしている生徒がいるということも知ってほしいです。美術教師としての醍醐味を味わっています。
「篆刻」の授業をやめようか、戸惑っている人がいたら、連絡ください。私でよければサポートします。なお、こちらに時間的な余裕がなくなれば、この記述は消します。連絡先は yamazakimasaaki★mac.com です。★を@にしてメールをください。
(追記)2022年8月22日
*この記事で大切なのは「命の形」という主題です。授業の最初の導入部分をどうするのか、そこで生徒の心がどう動くか、教師の役割は大きいです。生徒が、自分なりに「命」のことを一生懸命に考える、できあがった作品を見ながら、さまざまな「命」の捉え方を知る。そんな時間であってほしいです。題材の導入についてはこのブログ記事「「命」をテーマにした授業をします」で書いています。 さて導入の言葉のは授業者の生きてきた背景によっても違ってくるでしょう。お子さんのいる方、いない方。女性、男性、他。住んでいる地域。身近に出会った生や死。授業者が真剣に考え抜いたものであれば生徒に伝わるはずです。しかし、かつての私が生徒からよく言われていた「先生、話長いです」ではあまり伝わっていないということですから、気をつけましょう。教師の考えた「題材設定の理由」を、生徒にわかりやすく伝え(伝え方は言葉だけではありません)生徒に支持され共感されることをめざしましょう。「命」の受け止め方も生徒一人一人によって違います。その当たり前のことを導入時に意識することも大切です。
(KEY WORD) 命についてなにか真剣に考えたことはある?どんなとき?君の考える命は?命についての喜びや悲しみの感情が生まれるのはなぜ?38億年の歴史。 DNA。
*子どもの命にかかわって何か大きな事件があると命の大切さについての教育のことが、言われるますけど。先にやれることは多いはずです。