心強い!日本美術教育学会の動き
2006年 04月 02日
↓以下に日本美術教育学会の事務局である大橋功さんがブログに力強い言葉を書いてくれています。元気が出ます!
日本美術教育学会の教育課程委員会審議経過報告への意見
以下に「日本美術教育学会」の意見を転載します。これまでの学会での研究成果をふまえた説得力ある内容になっています。しかも、あえて70時間を求めています。
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「審議経過報告」に対する意見
日本美術教育学会
会長 神林恒道
本 部 立命館大学アートリサーチセンター
事務局長 大橋 功
日本美術教育学会では、中央教育審議会初等中等教育分科会教育課程部会「審議経過報告」(平成18年2月13日)について、会員、委員に個別の意見を求め、それを集約すると共に、美術教育学の専門的立場より検討を行い、以下のように意見をまとめた。
平成18年3月28日
1 教育課程をめぐる現状と課題、(2) 現行の学習指導要領の考え方について
○芸術教育軽視へと傾斜する危険性
ここで指摘される「各教科等の指導においては、指導に必要な時間が確保されていない」ような事態をまねいたり、「総合的な学習の時間で身に付けさせたい資質や能力等が不明確なままで実施」してしまったりするといった問題が生じる事については、第16期日本学術会議の中に設けられた「教科教育研究連絡委員会」によってまとめられた『教育課程改革への理論と実践-総合的学習を中心として-』(東洋館出版社、1998)、及び「教育課程の基準の改善の基本方向について(中間まとめ)に対する意見」において、日本美術教育学会としてその危惧について明確に指摘していたところである。
そして、今回のように、こうした問題の指摘に応じる形で教育課程の見直しが行われる際に、「総合的な学習の時間」創出という大義名分の下に削減された教科内容や授業時数が、その揺り戻しを受けてどのように振り分けられるのか、芸術教育軽視へと傾斜する危険性も指摘してきた。
○豊かな人間としての価値形成を担う芸術教科の再認識を求める。
本来、学校教育における芸術教科の意義から見て、これまでの教育課程の理念や本報告に見られる「生きる力」や「人間力」を育てる上で、十分な内容とそれに見合う授業時数が確保されてきたとは言えず、そのことが、豊かな人間としての価値形成が十分に果たせず、美的価値の実現に向かう態度(自己実現)や能力(知識;knowledge、技術;skill、これらを生きて働く力として活用する能力;competenceなど)の形成をめざしてきたにもかかわらず、教育課程においてその機会の保障が不十分である点を重く受け止める必要があると考える。
日本美術教育学会では、学校教育における芸術の教育的意義を十分に踏まえ、上記の現状を重く受け止め、その課題解決の為の具体的な方策を検討すべきであることを指摘し、豊かな人間としての価値形成を担う芸術教科の再認識を求めるものである。
2 教育内容等の改善の方向、(1) 人間力の向上を図る教育内容の改善
② 具体的な教育内容の改善の方向、3)総合的な学習の時間などの改善
イ中学校における選択教科について
○選択能力の育成は必修教科の充実によって図るべきである。
「「義務教育に関する意識調査」においても教員で選択教科などで学習内容の選択幅を広げることに賛成(「賛成」、「まあ賛成」の計)なのは24.3%に過ぎないなど選択幅を広げることに消極的である」ことや、「限られた時間数の中で教育課程が複雑になるとそれぞれが薄くなってしまうので、必修教科を重視し、時間を掛けて徹底すべきなど、時間数の在り方を工夫すべきとの意見があった。」ことが報告されているが、これについては、日本美術教育学会における意見集約でも同様の意見が多く寄せられた。
もとより、「選択教科の子どもの選択能力の育成という趣旨を踏まえる必要があるとの意見」に対しても、選択教科を広げることによって選択能力が育成されるのではなく、それぞれの教科の必修教科の充実を持ってこそ可能になると考える。
○選択教科の拡大は、思春期にある中学生の自己実現の機会を奪い、精神的に健康な成長の機会を奪うものである。
また、教育課程審議会の委員の中からも「芸術教科は選択で良い」との意見が出されているが、人類の歴史と文化を振り返るとき、それがいかに偏狭で軽薄な考え方であるかはすぐに理解できるはずである。芸術が人間形成に重要な役割を果たすものであり、特に、思春期という価値観の形成にとって重要な発達段階にある青年前期の教育(中学校・高等学校)にとって、芸術教育は、美的価値観の形成を中軸に自己実現を経験しながら、その人格を自律的に成長させていくために不可欠なものである。中学校における選択教科の拡大が、ただでさえ不十分な芸術教科の学習内容や授業時数の削減につながり、学校教育における周縁化を招
くのであれば、それは芸術による自己実現を通して、精神的に健康な人間として成長していくための機会を奪うものであり、教育課程編成において再考すべき最重要課題と考える。
○芸術教科の選択教科化は、アジア諸国に学力だけでなく芸術面においても水をあけられる結果を招く。
○国際化社会において真の国際人となるためには芸術文化に対する素養は欠かせないものである
日本美術教育学会会員によって構成される研究チーム(「東アジアにおける鑑賞教育の現状調査ならびに比較研究」)による調査では、東アジアの諸国(中国・台湾・韓国)において、義務教育レベルにおいて美術、芸術を選択教科にしている国はない。特に、韓国に至っては、高校1年生まで芸術教科を必修教科として定めている。
芸術教育の充実は、国際化社会において、自国の伝統文化を理解し、愛好する心情を養う国民教育の視点からも極めて重要な課題である。既に述べたように、多様な価値観の形成がすすむ青年期の教育において、芸術教科は欠くべからざるものである。
アジア諸国、とりわけ韓国などは、スポーツ界における躍進だけでなく、近年の韓流ブームが示すように、芸術文化面でめざましい成果を上げている。中国、台湾でも同様の傾向が生まれてきている。そのような中で、今回の経過報告を見る限り、芸術教科を周縁化するおそれのある点においては、高度経済成長時代、科学技術化時代の教育思潮の流れのまま、さらに芸術教科の必修時間を削減し選択教科化するような改訂の方向性は時代錯誤であり、こうした選択教科の拡大は、学力だけでなく芸術文化の振興においても諸外国、特に東アジア諸国から水をあけられてしまう事態を招きかねない。
(2) 教育課程の枠組みの改善、① 指導方法、授業時数の見直し等
イ授業時数の見直し
及び
3 学校教育の質の保証のためのシステムの構築、(2) 学校教育の質の保証
ウ教育課程編成に関する現場主義の重視について
○各学校が責任をもって適切な教育課程を保障することができるか?
ここで示される事柄についても、前述の理由から、慎重に検討されるべきと考える。特に、「授業時数の在り方については、その量的な側面だけでなく、各学校における教育活動の創意工夫により、効果的な学習指導ができるよう、その弾力的な運用等についても検討する必要がある。」とされている点や、「現在は標準として定められている授業時数の扱い、学年ごと教科ごとに示されている授業時数の示し方について柔軟化することも検討する必要がある。」などについては、確かに検討の価値のあるものであろう。しかし、各学校が責任を持って適切な教育課程を保障することが出来るであろうか?総合的な学習の時間の実施実態を見ても疑問が残る。
教師や学校が適切なカリキュラムを構想し実施する能力が十分に獲得されない状況下で、「学校教育法施行規則で「標準」として規定されている」授業時数の無制限な弾力化の導入は、絶対に反対である。
たとえば、子どもの生活や健全な成長発達を無視した偏った授業時数の割り振りが行われる可能性は払拭されない。また、学力調査での成績を向上させることや、外国語教育の導入など、学校が課せられたプレッシャーが、さらに芸術教科の授業時数の実質的な削減を促進させてしまう可能性は否定できないのである。
具体的に懸念されるものとしては、「特定の学期や時期に小学校「図画工作」や中学校「美術」の授業を集中させ、年間を通して行われない事例」、「各教科等ごとではなく、複数の教科等の授業時数をまとめて示すことも一つの方法ではないかという意見」などからは、「美術と音楽の授業時数をまとめて大きな枠組みで設定し、その範囲内で自由に授業時数を安易に割り振ってしまう事例」などが考えられる。
「入学試験等の内容に影響を受けるので、引き続き教科等ごとの時間設定を基本とすべきとの意見」もあったようだが、それだけに、入学試験に関係しない芸術教科からこうした方法を導入していこうとの発想が生まれてしまうことは容易に想像できる。
また、「美術の専任教諭を持たない学校(複数校を受け持つ時間講師などによって授業を担当させているなど)では、専任教諭のいる教科に傾斜する事例」なども想定される。
○授業時数の削減を前提にした「合科」では教育の不毛を招くだけである。
「諸外国では、①各学年・各教科ごとの授業時数の設定を学校に任せている例、②複数の学年・教科をまとめて年間の授業時数を定めている例」などを示し、「合科的な指導をより柔軟に行うためには、どのような教科等の組合せが考えられるかなど、各学校の教育課程編成に当たっての柔軟性を高めるための仕組みや、その際の学校の説明と公表の在り方などについて、更に検討を行うことが必要」としているが、このようなケースでも、芸術教科が安易にその対象に挙げられてきた。芸術における共通課題や、総合的な芸術活動を軸とした学習活動を
積極的に取り入れることの教育的な意義は否定しないし、その方面での研究も積極的に行っていく必要はあるが、各教科の現行授業時数の和を基準とした安易な合科的発想では十分な教育効果は期待できない。
授業時数を「節約」するための「合科」では教育の不毛を招くだけである、より良い教育理念の実現をめざした、新しい教科教育の可能性の追求からの検討が必要である。
○芸術教科の最低授業時数を明確に示す必要がある。
授業時数が、その教育内容のありかたなどの十分な検討に基づいて決定されるべきであることに異論はないが、弾力的な運用を導入する場合は、保障すべき最低授業時数を設定すべきである。「授業時数の在り方については子どもや学校の実態社会の要請等を十分把握しつつ専門的・実証的に検討を行う必要がある。」とされているように、こうした授業時数の設定には、当該分野の専門的・実証的な研究実績を有する研究機関の意見を尊重すべきである。その際、当然教科教育の専門研究機関も含めなければならない。
日本美術教育学会では、専門的見地から、美術教育の目標を達成するためには、必修教科の最低年間授業時数は70時間、週時数2時間が基準とならなければならないと考える。
② 発達や学年の段階に応じた教育課程編成や指導の工夫について
○小学校「図画工作」専科教員の促進と、中学校「美術」の免許外担当の是正「教育方法の面において、小学校高学年における教科担任制について検討することが必要である。その際、中学校の教員が小学校で指導に当たることについても、小中連携の充実という観点から積極的に検討する必要がある。」と指摘されるように、小学校「図画工作」でもすでに教科担任制をとりいれている自治体などもみられるが、概ね良好な成果を上げている。2003年に日本美術教育学会が行った全国調査では、専科担任は全体の16.5%であったが、その中で中学校
「美術」免許所有者は13.6%で、2.9%は「美術」の免許は持っていない教員であった。
教科の専門性が高ければそれだけで良いとは考えないが、芸術教科の意義を十分に理解し、教科の専門性を有する教師が高学年を担当することは重要な事であると考える。その一方で、先の本学会の調査では、中学校「美術」を担当する教員のうち、他教科との兼任も含め、「美術」の免許を所有しないで担当している教師が26.9%もいることがわかった。これは教育の質の保障から見て大きな問題であり、その背景には、小規模校などでは美術の授業時数が少ないため専任教諭を置けないという原因がある。このような傾向はかつては僻地校などに限られたが、近年では少子化の影響もあり、都市部の中学校においても見られるように
なっている。こうした歪みの実態を調査し早急に是正することが求められる。
まとめ
今回の「審議経過報告」を見ると、「総合的な学習の時間を導入した結果学力問題が起こった」というような短絡的な論調に左右されているとまでは言わないが、「生きる力」を育てる目玉として創設した「総合的な学習の時間」の見直しと「教科教育の充実」、加えて「人間力」という概念を掲げながら、基礎基本のより充実、わが国の学力水準の国際的地位向上をめざしていることがわかる。
その中で、現行教科につながる多様な分野や領域の教育に言及しながらも、「② 具体的な教育内容の改善の方向」、「1)国家・社会の形成者としての資質の育成等」の「イ豊かな人間性と感性の育成」では、「文章や詩歌の音読・暗唱を通じ自然や芸術の美しさの実感的な理解を重視」や「算数・数学でねばり強く考え抜くことによる達成感や自信も重要。」などと明らかに国語や数学教育の学力向上を強く意識していることがわかる。ここで芸術教育に関する記述がないことはまったく理解ができない。
実際、「なぜ子どもの基礎学力が低下しているのか」ということの真の原因の解明もままならない中、結局は、週五日制の維持、総合的な学習の時間の継続という前提の下で、国語と理数系科目の授業時数の拡大と、英語科目の導入のための授業時数をいかに獲得するか、ということに終始している。「合科」など、授業時数を中心とした教科の枠組みの検討や、学校の裁量権を認めた弾力的運用の提案も、前半に掲げられた教育理念との具体的・有機的な関
係が不明確なまま、ただ授業時数捻出のための詭弁にしか見えない。
このままでは、「生きる力」を育み、総合的な「人間力」を育てることに欠くことの出来ない「芸術を理解し愛好する能力と態度」の育成、文化的発展といった面で、諸外国に大きく水をあけられることになり、わが国の未来にさらなる大きな禍根を残すことになるまいか、との危惧を抱かざるを得ない。
今日の学力問題は、単純に教育制度だけの問題ではない。むしろ、少子化や高齢化、経済の破綻などによる社会不安、家庭や地域社会の教育力の低下、社会モラルの低下など、子どもたちの学習へのインセンティブを低下させている要因は、我々の社会全体に複合的に存在し、また深刻化している。教育制度以前に、社会全体の変革が求められているのであり、それを、教育の問題にすべて被せているのは、政治全体の問題の教育問題へのすり替えだとも言える。
確かに教育の大枠における「総合的な学習の時間」の比重は見直すべきと考えられるが、単純にその枠組みを特定教科に傾斜させることだけでは、問題の解決には繋がらない。急激な速度で揺れ動く不安定な社会の刹那的要請に振り回されるような対処的な改訂にならないよう、慎重に検討していただきたい。
日本美術教育学会が今回意見として提出したのは、あくまでも「審議経過報告」に対応させた意見としてのものであるが、問題は、もっと教科教育そのもののあり方の質が議論されなければならないと強く考える。教科教育のあり方そのものの反省をふまえた改善無くして、制度をどのように改変したところで問題の解決には繋がらない。それは、残念ながら美術教育においても同じであり、教師のイメージを子どもを使ってつくらせるような作品主義や、学習内容を無視した放任放縦の実践がまだまだ見られる点は大きな反省点である。
本学会がおこなった実態調査などから鑑みても、決してすべての「図画工作科」や「美術」の学習指導が適切に行われているとは言えないのであり、こうした点を是正していくための詳細なガイドラインを示すことを優先しなければならないと考える。
しかし、また子どもの成長や発達を正しく理解し、その目標の達成に向けた指導の工夫が十分になされた実践も数多く存在する。こうした優れた実践モデルと専門的な研究成果の有機的な連携により、より有意義で効果的な教育が実現できるようにしていくことが望まれる。日本美術教育学会は、その中心的な役割を担っていく責務があると自覚しているが、その同じ立場から、小学校・中学校ともに、芸術教科の年間70時間、「図画工作」「美術」については週時数として連続した2時間の授業時数を最低保障した上で、選択教科、総合的な学習の時間、特定教科の重点化を行うべきであると考える。
☆日本美術教育学会














