「美育文化Vol.56」に私の文章が掲載されました
2006年 07月 10日
「中学校の美術教育において、まず指摘されなければならい前提は、年間の授業時間数が学習指導要領の改訂の度に逓減傾向にあることでしょう。
選択授業の可能性などを度外視するならば、2学年、3学年の授業時間数が、ほぼ週1時間の割合として定着している現状があります。
制作を中心とし、授業の準備や片づけにも相応の時間を要するこの教科の特性を考えるとき、この現実は厳しい状況であると言わざるを得ません。
ただし、単にこの問題を指摘し、慨嘆したところで事態が、にわかに好転することは望めない以上、限られた時間数の中でも希望を持って取り組んでいくことが求められています。
このような状況のなかで中学校の美術教育の関して、従来より、とかく授業のスタイルや作品が類型化していることも指摘されています。もちろん、個々の授業にはそれなりの指導内容があり、表面的には同じように見えるものに必ずしも一般化できない事情があることは深く考察する必要があります。けれども、結果としてそのような努力が目に見えては伝わってきにくいという状況は率直に反省する必要があると思われます。
小学校ではもっぱら、表現することの楽しさが強調され、作品のバリエーションもそれなりに多様化しているのに対して、中学校の美術では未だに類型的な授業が見られる背景には、それらの授業が、いわば生徒たちにとって、興味・関心から遊離したものになっていることが懸念されます。
もちろん、ここには、中学校美術科が、小学校図画工作科のそれとは異なった内容と特質を持っていることがあるでしょう。中学生にあっては、より主体的な美的価値判断が要求されることから、表現と認識の確執が生じ、表現をすることは、自己の確立に向けた表現の試練でもあるという構造があります。
このような思春期特有とも言える事情により、外面的な表現の楽しさだけではない要素があることも確かだと思われます。しかし、本来的にはそれらはむしろ、表現のバネとなるものであり、障壁と捉えるべきではないと考えます。小学校において培われてきた表現することの楽しさや多様な素材とのふれあいをもとに、新しい自己と出会い、真に豊かな内面を形成することによって、中学・高校時代は、まさに美術教育が花開く時だと言えるのではないでしょうか。
そこでこの号では、「これがやりたい!中学校アートというテーマで、生徒の意欲を高め、表現の歓びが実感できるような、中学校の美術教育の実践について考えてみたいと思います。」
以上のようなご提案があり、私もこの主旨に対して答えを出そうと考えてみたのでした。
☆美育文化
私的なことですが,今回の課題「平面構成」の評価日でした。評価に伴う点数を示すことと同時に,「何故その点数をつけたのか」具体的な言葉による説明や評価は,生徒自身も納得,今後の課題に影響するなぁと,強く感じました。「別に高得点つけたわけでもないのに,ありがとうございます!」など言われると,「いやいや~。こちらこそ」となり恐縮下地分がおりました。文章は記録として残るからこそ大事なのでしょうが,書面での評価は何となく味気ないものだと,中学校の評価基準をもとにした経験を振り返り感じました。
評価は大事ですね。作品へのていねいな説明いいですね。それから、作品をもとにした生徒との対話、これも私達教師を向上させてくれますね。
美術科の雑誌として、この『美育文化』と『教育美術』が存在するというのを知ったのが2年前。それから継続して購入しています。他の教科なら書店で販売していますが、美術科は直接注文するしか手に入れる方法がないというのも何とかならないのかなと思います。そのせいか、この雑誌の存在があまり知られていないのも残念です。
今回の「美育文化」にあった「魂が震える授業」という言葉が強烈な印象として残りました。それから教育大附属札幌の水野さんの実践も載っています。
ところで山崎正明という活字がでっかくてびっくりしましたあ。
紹介記事についてはいつかと思っていましたので、そのうちにやってみます。
実は昨年の2学期から、『美育文化』も『教育美術』もたまっています。夏休みには読まなければと思っています。