作品が違って見えてくる

10代の時にヘミングウェイの「老人と海」を読んだ。そして20代の時にも、30代の時にも。小説はほとんど読まないけれども、なぜかこれは気になる存在。読んだその時々で受ける印象が違う。
今日、美唄の我路ファミリー公園に行ってきた。安田侃氏の作品「炭山(やま)の碑」を見るためである。公園はかなり荒れていて雑草が伸びていた。人もいない。公園の横に「炭山の碑」が静かにたっている。「炭山の碑」をはじめて見たのは写真であった。もう20年程前のことである。伸びやかに空に向かうそのシンプルな形と白い色が印象に残った。しかし今はまったく違って見える。一つは安田侃氏の作品が好きになっていったからだ。そしてもう一つは作品についての知識を得たことだ。
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かつて炭坑のまちとして栄えた夕張のまち。そして多くの炭坑犠牲者がこの山の地底に眠っている。安田氏は「その魂に空気を送れないか、御魂を闇から吸い上げ、家族のところに返せないか。」という思いでこの作品をつくったという。
 この我路公園に向かう途中はかつて炭坑として栄えた場所である。そんなところを通り過ぎてこの碑にたどりつくわけである。
 この作品を通して地底に眠る魂のこと考えたり、安田氏の思いを考えた。明らかに最初見たときと作品は違ってみえている。
 今日、この作品は美唄のこの地とこの時代だから生まれてきた作品であるとつくづく思った。
そして「鑑賞」の深さについて改めて実感した気がする。



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↑なぜ、こうした窪みをつくったのか、とてもわかる気がした。
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 今年7月18日のニュースで(共同通信)で、安田侃氏が、美唄の炭鉱で亡くなった朝鮮人労働者を鎮魂する慰霊碑「静江(せいこう)」を韓国・釜山に設置したとつたえられていた。ここ設置している「炭山(やま)の碑」と対をなす作品だそうで、「炭山の碑が死者の魂を放ち、静江が受け止めるイメージ」ということだそう。

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 ☆心を形にする。精神が形を探す

《関連サイト》

 ☆「炭山の碑」の前で(NPOアルテポアッツァびばい)
by yumemasa | 2006-07-22 23:02 | 鑑賞教育 | Comments(0)

「美術教育」や「自然」に関するブログ。人々がより幸せになるための美術教育について考え、行動します。北海道北広島市在住。中学校教諭32年、大学で幼児教育・初等教育担当8年。現在、時間講師。


by 山崎正明
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