先行の段階を終わることなく次の段階にはいるべきではない
2006年 10月 18日
「先行の段階を終わることなく次の段階にはいるべきではない。先行段階をすべて卒業した子どもだけが、長い生涯にとってのよい基礎を身につけることができる」
しかし、これに反して
日本では酒井臣吾氏がついに大発見をしたそうです!?
「これが幼児の絵!?魔法の酒井式描画指導」
2歳児をきちんと指導すれば天才的な絵を描くそうですから、これはこれまで世界の美術教育の歴史を塗り替えることになるでしょう。…。!?
それにしても、どうしてこのように見かけの出来映えにこだわるのでしょう。コンクールの功罪も考えなくてはなりません。そして美術教育の本来の果たすべき役割は何かを考えさせてくれるきっっかけを酒井氏は与え続けてくれています。
☆石狩管内教育美術展で、絵の見方を表示
☆作品展の賞状
《追記》
なお、私のこのような考え方は、教育関係の出版では超メジャーの明治図書の雑誌で批判されています。
こんな事を書くと、私も「口汚くののしる」一員となってしまうかもしれませんが、魔法の描画法から感じるものは、「気持ち悪い」というものだけです。
感覚的にこういう事を言っては良くないのでしょうが、どうしてもこういう系統の教育からは気持ち悪い感覚しか得ることができないです。
ただ、私のように感じる人たちがいるからといって、この教育方法が悪いという事はなく、良くも悪くもこの方法が絵を描くのに正しいのだと、一方的に親が子供たちに与える事に問題があるように感じます。(大人が自分の意思でこういう方法を学ぶんだと取り組む分には問題ないかと...)
美術という感覚的要素の大きい難しい教育の中だから、見かけがそれなりに良く見える、だれでも同じようにできる方法が発見できたとすると、それはそれで凄いのかもしれなく、それらを鵜呑みにして安易な方向に走る事を選択肢として考慮する大人たちが出てくるのは仕方がないのかもしれません。
ただ美術に関して私的で勝手な意見を言わせてもらえば、“決して答えを出してはいけないもの”であると私は思い、そして信じています。
さてMixiは近頃あまり行っていないんです。なかなか手がまわりません。でもあのトピは、本質をはずれないように舵取りされているし、紳士的な応対で感心していますし、心強いです。誠実な対応されています。
同じように最近の掲示板でもみなさん素晴らしいコメントを残してくれています。うれしいです。
研修の件ですが、私は小学校部会に参加することもあるんですよ。その方が勉強になることもあるし。
まあ、苦手分野の研修と言っても難しいですね。そうなればよいのですが…。
それよりは図工の楽しさや価値をもっとわかりやすい言葉で広めていく必要があると思います。特に保護者も含めてです。
今回「子どもにとっての貴重な時間」はそういった取り組みをこれまで考えてきたからできたことかもしれません。
まだまだ、やるべきことはたくさんあります。
もう、何もかも決められて、言われた通り描くとほめられます。つまり教師の方で用意している完成予想図に向かって、細かく行為を指図され、そのことだけをやるというシステムです。
ですからlinersさんの意見に賛成「決して答えを出してはいけないもの」でしょうね、幼児なんかにそんなことしたら、創造性の芽を奪い取るようなものですから。顔を描く時、どこから描き始めるか決まっていたり、なんてつまらないことをさせているのだろうと思います。
あの絵の中に子どもが表したいという思いが見えてきません。出来映えばかりです。
linersさんのお子さんに人間の顔をいちいち指図しながら描かせる大人がいたら…。
この酒井式では幼児期に描く子どもの絵を大人と比較して未熟であるととらえていることに問題があります。
酒井式の指導を受けて困っているという方から何度かメールをいただいたこともあります。
最近父になったkinersさんの意見だけになんかシャープだなって感じがします。
コメントうれしかったです。
あれ?この名言、誰の言葉でしたっけ?(ど忘れです。最近多いかも)
チゼック?ローウェンフェルド?
美術教育の名言集の中にありましたよね。なんか、学生の時読んで、
妙にインパクトのあった言葉です。多少違うかも知れませんが・・・。
この一言に尽きるのではないでしょうか・・・・もしかしたら。
はいやい話、図画工作や美術などを全て学校から無くしてしまったら…。
最近立ちあがった日本教育再生機構の中で小浜逸郎氏(評論家)は「教育再生」に向けて以下のように述べています。
一部紹介しましょう。
「Ⅰ.教育 ―― それぞれの子どもの能力・適性を早く見きわめ、それに合った複線的で多様な教育システムの確立を目指す。具体的には次のような案が考えられる。
(2)義務教育機能の限定――小中学校の公教育カリキュラムを主要教科に限定し、授業は午前中のみとする。午後の空いた時間に多様な民間教育機関に参入してもらう。民間教育による科目は選択性とする。すべての国民に必要な共通学力を八年間で効率的に教え込む。」
この再生機構にのリンク集にToss・扶桑社そして明治図書がありました。
http://kyoikusaisei.blog73.fc2.com/
酒井式を推進する方々は「一部の教師」と言っていますが、実態は違いますね。
Yodaさん、でもこれに足を踏み入れてもやってて「おかしい!」と自ら気がついてやめる方も多数います。捨てたものじゃないです。
でも教典のようにして、これにしがみついている方は今更自己批判はきついいのかもしれません。
酒井式を批判すると「自由にやらせて、それが指導か?」って話になるんですが、授業の中でまったく自由なんてないですから。
図工美術を真剣にやっているかた(別に美術が得意な先生とは限りません)は、こどもに題材を提示する時、本当によく考え、工夫し、子どもの意欲を引き出しますから。子どもを見つめて、どんな力を引き出すか、そして何を教えるか、教えないか、それはそれは慎重です。
Yodaさん、本当に理解しがたいです。善意なんですけどね…。
本当に困ったものです。これを大手明治図書が強烈にバックアップしていること事態が私には理解出来ません。よい本も出しているのですが…。