中学校美術の時間は現状のまま?大事なことは何だろう?
2007年 09月 07日
☆中学校の教育課程の枠組みについて(検討素案)
小学校と同様、美術は「これまでの成果を踏まえ、授業時数を現行どおり確保した上で教育内容の改善を図る。」とありました。あ、選択教科化は避けられたか…しかし、現実的に考えると今の週1時間(1年生はプラスアルファがあるにせよ)。厳しい、厳しすぎます。準備と後片付けを差し引くと…。
さて、国際的な学力比較、…、それとマスコミを通して一気に吹き上がった低学力論。この素案がそんなことから影響されているのかな、そんな気がしました。
なんのための教育か、素朴にそう思いました。
みんなが幸せに生きていくために、もっとも大事なことは何でしょう…。これから、どんな社会をつくっていくべきなのでしょう。
ここで軽く私が書けることではないかもしれない…
ただ、現在の「地球の環境問題・平和」「格差・高齢化社会」それだけを考えてみても、現状のままで対応しないはずです。当面、今の子ども達が直面する課題です。
負の遺産を子ども達に渡してしまいました。(もちろん負ばかりではないですが、その負があまりに大きい)そんな状況下でも国際学力比較?受験学力?
(以前、マスコミで円周率を3で教える(これは誤りですが…)ということで大きな話題になりました。私にはなぜそれが大問題なのか、不思議でした。もちろん受験を考えたら困ります。上級学校に進むのであれば…。)
そうではなく、例えば想像力、創造力、課題解決力そのようなものこそもっともっと伸ばしていかなければならないのでは。厳しい状況下でも夢や希望や人を信じて生きていく力、そして「共生」の感覚こそ必要ではないでしょうか。
人々が幸せに生きていくための方法は一つではないし、どう生きていくかは自分が自ら判断していくことによると思うのです。
それは例えばテストという外から測定できるものによるわけではないでしょう。どう生きるか…「答えは外にあるのではなく、自分の中にある」最近読んだ本に書いてありました。
この文章は、今、教えている生徒や中3の娘のことを頭に描いて書いています。
しかし、「勉強」と言えばそれに呼応するかのように「テスト」とい言葉が連想されます。残念ながらそれが今の中学生の現実となってしまっています。
けれど、もう一方の現実では子どもは今「学校祭」のために一所懸命取り組んでいます。テストの点数があがるわけではありません。そこにテストでは計れない価値を感じているからです。
教師もそうです。力を入れています。力が入ります。
各教科と違う美術教育の一番の特徴、それは「出す答えはみんな違う。」ということ。そして評定(査定?)にもっともなじみにくい教科。生きることにリンクしている教科だと考えています。「美術教育が大事だから」ではなく「子どもが大事だから」。だから「美術教育を豊かに!」ではなく「豊かな美術教育を!」なのです。
ただこれは勢いで書いた面もあります。もっともっと考えなきゃならないことです。さて、こう書きましたが、何をすべきか…。大きな課題ですが。
(追記)
皮肉なことですが、美術の教科時数がどんどん削減されたことで、教科の存在理由をいつも考えるようになりました(授業では「題材の存在理由」)。そうすると、教育で何が大事なのかってことも考えるようになります。
これだけ時間が短いと題材を厳選しなくてはならないですから、この題材はどうしてもやらなくてはならないことなのだろうか?となるわけです。
当然のことながら、何を育てるか、どう育っているかを考えるわけです。美術教育に携われたことに誇りを感じています。これを自己満足で終わらせることなく、他の人に伝えて、受け入れていただける力が必要だとも思っています。(難しいなあ)
しかし、難しいところです。授業時数が少ないからと、厳選して行うと、
つまり適応したように見られてしまうことにもなるわけで・・・。
さらに現状の時数で、工夫したことで成果が上がると、この時数でもやれるじゃないか、と捉えられそうですよね。なにかイタチごっこというか・・・妙な歯車にはまってしまっている感じです。
私たちも、美術図工では、最低これだけのことはやらなければならない、
そのためには、最低これだけの時数を確保しないと無理、というような研究も必要かも知れません。高校の生徒総会での部費争奪戦のような、「必要だから、これだけはくれ!」というような公聴会みたいなものも欲しい感じがします。(ちょっとたとえは悪いですが・・・。)
「答えは外にあるのではなく、自分の中にある」・・・仕事をしているといつもそう思います。
『イメージ(実現したいこと)』があってこそ、その手段として役に立つのが『読み・書き・そろばん』であると、痛感します。
一緒に仕事をしていても、イメージを共有できないことのもどかしさといったら・・・。
私は、直接、美術教育とは関わりのない生活をしていますが、やはり、制作活動をやめられないですし、本当に悩んだ時に、自分を表現する手段としての美術になじみがあってよかったな~と素直に思っています。
先生とは違う分野ですが、直接関わっていらっしゃる先生方があきらめない限り、ひとりでも多くの人達に制作の楽しさを伝えていきたいと思っていますので、がんばってください!
ただ教科(準備や後片づけが必要)の特性をご理解いただかないとならないでしょう。
「私たちも、美術図工では、最低これだけのことはやらなければならない、
そのためには、最低これだけの時数を確保しないと無理、」これはそうですね。
こうして青木さんがコメントしていただくことで、やはりいろいろな巻会え方がわかるけで、あきらめず、いろいろと今後も交流や発信をしていきましょう。
そして私たちは他教科のことももっと知らないとならない気もしています。
本さん、コメント遅くなってしまってすいません。岡山に行っていたので。前嶋さんにお会いしました。彼の壮大な夢を知り、素晴らしいなと思いました。私も何かお手伝いしたいな、いや、共に何かできないかなと思いました。
なお、リンクをしていただきありがとうございます。美術教育を美術教育関係者だけで大事だと言っていても弱すぎます。
むしろ違う分野の方が話題にしていただいた方がよいこともあります。よろしくお願いします。