アルテピアッツア美唄で開催されている
「命の形・自分の形(中学校3年生)」展に行ってきました。
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ワガママにも指導者である岩田さんに電話して、直接会場でお会いし、解説までしていただきました。
作品を見ていると、どんな中学生なのか、その子がどんな子なのか、会って感想が聞きたい気がしました。そんな作品なのです。
ここにある作品を通して感じ取れるもの、それは見る人によっても違ってくるでしょう。指導者である岩田さんが、親御さんが、友だちが、身近な人だからこそということがあります。けれども、知らない私が見ても何だか、中学生のデリケートな気持ちが伝わってきます。そこがすごいのです。
美術が好きな新聞社の方が感動していたというのもよくわかります。
この作品展は選抜したものではありません。全員の作品です。それからあえて出品しないという生徒も数人いたそうです。それも、いいなあと思いました。それぞれに理由があるようで、なるほどと思いました。教師の方で機械的に全員のものを展示するのと、子どもの意志を確認して展示するのとは意味が違います。
作品には、その子の解説があります。鑑賞のヒントになります。ラベルも丁寧なつくりです、題名は生徒の手書き。
思春期にいる子どもたちが、このような作品に取り組むことの意味は大きいはず。今回の制作では指導者の岩田さんに生徒達が、積極的に形の説明をしてくれたとか…、それから絶対に秘密という生徒もいたそうです。それもまたいい。
自分の心を他の人に説明するなんて普通はしません。けれどもこうして作品にするとなぜか説明したくなる。題材設定が素晴らしい。
上の作品も下の作品も自分一人で生きているわけではないってこと、それを大事に考えて形にしている。
こんな展示が出来るのも会場を提供する安田侃さんのおおらかな気持ちがあるからこそですし、美唄の子たちは安田さんの作品は知っていますから、影響も受けているでしょう。
下のノートの写真、ある親御さんのコメントです。我が子だけでなく、他の子も優しい気持ちで見てくださっています。
「学力、学力、学力…」それだけじゃないです。
岩田さんと二人でこの題材について、今後どうあるべきか、その改善点を探りました。題材そのものはよいとして、素材のあり方や造形美の追究、色のことなど、話題はつきません。
北海道でも抽象彫刻に取り組む先生も多く、なぜこの題材設定をしたのか、そしてこの題材を通して何を育てようとしたのか、それだけでも共同研究になりそうです。
一緒に指導案をつくったらおもしろいかも…なんて話もしました。
私も、今「命の形」に取り組んでいるので。
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アルテピアッツアびばいでで中学生の作品展
(追記)2021年9月
この作品には作者のコメントがついています。このコメントがあるからこそ、見えてくることもあります。作者は作家ではありません。作品で表したいことが色や形、材料ですべて表せるわけではありません。だからこそ、こうしたコメントが表したいことを補ってくれます。なお、作品を無心でつくっていて、あとでコメントを考える生徒もいるかもしれません。でも、それはそれで、ありだと思います。その時、ふと考えて作品に意味や価値を自分でつくっていく時間ですから。コメントを書く時間も創造的な時間です。
特にこの題材では、一人一人が日々、どんな思いを持って生きているのか、そんなことが伝わってきます。追記したのは、あらためてこの記事を読んでみて作品のコメントのよさを実感したからです。