
私の教師としてのスタートは埼玉県での「講師」としてはじまりました。大学を出て2年連続で採用し試験に落ち、父のカーテン販売を手伝ったり、田植え稲刈りなどをしたりしていました。(田植え稲刈りは非常によい体験でした、農繁期は過酷な労働でした。農業はもっと儲かるシステムでなければいけない!)
北海道教育委員会に何度も足を運び臨時採用をさがしましたが、ありませんでした。もう日本全国どこでもいいから採用してほしくて各地に履歴書を送っていたら、埼玉県がひろってくれたのです。上の写真は私の住んでいた北浦和です。今回行かせて頂いた埼玉県立近代美術館は徒歩で10分くらいでしょうか。まさかここに再び来るなんて…。不思議です。
なつかしの与野西中学校に行ってきました。もう、なつかしくて、なつかしくて。

赴任した頃は全国的に荒れた時期でした。西中も荒れていました。本当に大変でした。しかし、そこから学ばせて頂いたことの何と大きかったことか。今でも感謝しています。子どもの自治活動がいかに大事であるか。子どもと真剣に向き合うことがいかに大事であるか。教師の結束が力を生み出すことも学びました。数え上げたらキリがありません。
強烈な思い出があります。荒れていて、私につっかかってきた生徒が何人もいました。「卒業したら覚えてろよ!」と言っている生徒もいました。その何人かが卒業式が終わり、職員室に入って来たのです。しかも私の方に来るではありませんか。とうとう来たかと思ったら意外な一言が…。「先生、北海道に戻るって本当か!?西中は先生方もいいし、いい学校だから、いれば!?」たったひとことで、あのつらい出来事も吹き飛んでしまうかのようでした。生徒と向き合っていてよかったなと思いました。

そしてこんなこともありました。あんなに荒れていたのにあるクラスだけは、それほどでもなかったのです。担任の先生は別に怖そうでも強そうでもありませんでした。学級会を見せて頂きました。自治的な活動ができていたのです。それが不思議で、不思議で。で、その先生に理由を尋ねたのです。「山崎君、勉強。教師として勉強すること。私なんかこの学校に来た時、授業を成立させられなかったのだから」そしていつも言っていました「教師が変われば、生徒も変わる」と。
今回、埼玉に行って原点に戻った気がします。ちょうど、転勤で4月から千歳市の学校に勤務することになります。なんだか今回の埼玉行きは私に多くのことを考えさせてくれました。