レイチェル=カーソンという人が書いた「センス・オブ・ワンダー」という本があります。
「教育」について考えるとき、この本が教えてくれることの何と多いことか。
この本は世界で最初に環境汚染の問題を告発したといわれる「沈黙の春」(1962年刊)を書いた海洋生物学者
レイチェル=カーソン最後のメッセージです。
自分の甥ロジャーと自然の中で過ごす日々から、彼女が確信した思いをエッセイ風に書いています。
彼女の言葉を紹介します。

「わたしは、子どもにとっても、どのようにして子どもを教育すべきか頭をなやませている親にとっても、
「知る」ことは「感じる」ことの半分も重要ではないと固く信じています。」
「子どもたちがであう事実のひとつひとつが、やがて知識や知恵を生み出す種子だとしたら、様々な情緒やゆたかな感受性は、この種子をはぐくむ肥沃な土壌です。
幼い子ども時代は、この土壌を耕すときです。
美しいものを美しいと感じる感覚、新しいものや未知なものにふれたときの感激、思いやり、憐れみ、驚嘆や愛情などのさまざまな形の感情がひとたびよびさまされると、次はその対象となるものについてもっとよく知りたいと思うようになります。
そのようにして見つけ出した知識は、しっかりと身につきます。」
「もし、八月の朝、海辺に渡ってきたイソシギを見た子どもが、鳥の渡りについてすこしでも不思議に思ってわたしがなにか質問されてきたとしたら、その子が単に、イソシギとチドリの区別ができるということより、わたしにとってどれだけうれしいことかわかりません。」
「子どもたちの世界は、いつも生き生きとして新鮮で美しく、驚きと感激にみちあふれています。
残念なことに、わたしたちの多くは大人になるまえに澄みきった洞察力や、美しいもの、畏敬すべきものへの直感力をにぶらせ、あるときはまったく失ってしまいます。
もしもわたしが、すべての子どもの成長を見守る善良な妖精に話しかける力をもっているとしたら、世界中の子どもに、生涯消えることのない
<センス・オブ・ワンダー=神秘さや不思議さに目をみはる感性>を授けてほしいとたのむでしょう。」
「地球の美しさと神秘を感じとれる人は、科学者であろうとなかろうと、人生に飽きて疲れたり、孤独にさいなまれることはないでしょう。」
最近、ちまたで盛んな学力論、ペーパーテストで計測できるものが主流という気がします。
今月3日(2004年)、中山成彬 文部科学大臣が「学力テスト推進」を打ち出しました。しかも「主要5教科」なんて言葉も平気で使っています。マスコミも「主要教科」という言葉を平気で使うようになるかもしれません。昔に逆戻り。でも塾は喜ぶでしょう。
写真は「センス・オブ・ワンダー」レイチェル=カーソン 上遠恵子訳(新潮社)
《関連記事》
☆
「知る」ことは「感じる」ことの半分も重要ではない←タイトルだけ見て誤解するかたもいらっしゃいます。結論にも注目。
《追記1》
2009年9月文部科学大臣の中山成彬氏は選挙に負け、土下座している姿を見て悲しくなりました。
で、今は「学力テスト」というより、「全国学力ランキング」(本意がそうでなくてもマスコミに取り上げられることでそうなっていく)になっていると感じます。
選挙で負けても、結局は彼の思うようになりました。
《追記2》
2012年「美育文化」誌で、「センスオブワンダー」が特集されるとのこと。待っていました!こういう企画。
私は、幼児や小学校対象の自分の講演の最後の方で「センスオブワンダー」を紹介していました。それは教育観の根っこになっているからです。
《追記3》
センス オブ ワンダーが映画化されました!
レイチェル-カーソン「感性の森」
◎記事は2004年11月に初投稿したものです。再度投稿しました。